東京都 港区
東京都港区の名前と高さをたどる旅——麻の布、出世の石段、333メートル
麻布や虎ノ門といった地名の由来から、愛宕神社の出世の石段、増上寺と泉岳寺の墓所、麻布十番の老舗、東京タワーと森JPタワーの高さまで、港区を歩きながらたどる読み物です。
公開 出典 41件

東京都港区を歩いていると、名前の由来が分からない土地に何度も行き当たります。港区の説明では、「芝」の地名は15世紀後半の文献にすでに登場するほど古く、由来は明らかになっていないとされています。六本木も、6本の松の古木があったからとされますが、諸説ありはっきりとは分からないと区は記しています。
一方で、名前が誰かの仕事や暮らしをそのまま覚えている場所もあります。区の案内によれば、白金(しろかね)は室町時代にこの地を開いた柳下上総介が大量の銀を所有し「白金長者」と呼ばれたことに由来し、読みは濁りません。その土地の名から、女性誌の編集者が1998年に「ミラネーゼ(ミラノっ子)」をもじって「シロガネーゼ」という造語を考案したと紹介されています。
麻の布を織った村と、十番目の工区
麻布という名は、周辺の農民が副業で麻の布をつくっていたことに由来するとされています。港区が公開する地名の歴史では、江戸時代には「安座部」「浅府」「麻生」など様々な表記があり、1655年(明暦元年)頃から「麻布」の表記が定着したと説明されています。
では「十番」はどこから来たのか。ここにも諸説ありますが、同じ地名の歴史は、古川(渋谷川下流)の改修工事で十番目の工区に当たっていたという説が最も信頼性が高いとしています。工事の区割りの番号が、そのまま町の名として残ったことになります。
その麻布十番に、1909年(明治42年)創業の浪花家総本店があります。初代の神戸清次郎が大阪、つまり浪花の出身だったことが店名の由来で、「およげ!たいやきくん」のモデルになった店としても知られます。パリッと香ばしい薄皮に、一日一釜で8時間かけて炊いた小豆がしっぽまで入り、人形町の柳屋、四谷のわかばと並ぶ東京三大たい焼きの一つに数えられます。
同じ町には、慶応元年(1865年)創業の豆菓子屋、豆源もあります。創業者の駿河屋源兵衛が炒り豆の行商から始め、「豆やの源兵ヱさん」と呼ばれたのが店名の由来です。名物の「おとぼけ豆」には、青海苔、きざみ海苔、海老の3種の磯風味が一袋に入っています。
白虎の門から、標高約25.7メートルの山へ
虎ノ門の名は、港区の説明によれば、江戸城の四方に霊獣を配する四神思想に由来するとみられています。青龍・白虎・朱雀・玄武のうち城の西に位置する門が、西の獣神「白虎」にちなんで名付けられたと推定されています。門は明治6年(1873年)に撤去され、名だけが交差点名や地下鉄駅名として残りました。
その近くの愛宕山は標高が約25.7メートルで、港区のデジタル版区史には、「山」が付く自然地形としては23区で最も高いとされると記されています。数字の上では、ごく低い山です。
ところがこの山には、傾斜角度40度、86段の石段がまっすぐ掛かっています。寛永11年(1634年)、3代将軍の徳川家光が増上寺参詣の帰りに愛宕山の梅を見て、馬であの梅を取って参れと命じたところ、丸亀藩士の曲垣平九郎が馬で上り下りして梅を取り、日本一の馬術の名人と讃えられたと伝わります。
この故事にちなんで、愛宕神社正面の男坂は「出世の石段」と呼ばれるようになったと伝えられています。上る日を選ぶ手もあります。毎年6月23・24日の千日詣りには、社殿前に設置された茅の輪をくぐって参拝すると千日分の御利益が頂けるという言い伝えがあります。
三解脱門をくぐり、38人が眠る墓所へ
増上寺の正面に立つ三解脱門は、幕府の大工頭、中井正清とその配下により慶長16年(1611年)に建立され、倒壊の後、元和8年(1622年)に再建されました。寺の公式の説明では、東京都内でも最も古い木造建築物のうちの一つで、門の名は、むさぼり、いかり、おろかさの三つの毒から離れ、極楽浄土に入る心をつくるための門であることに由来します。
門の先の墓所には、2代秀忠、5代将軍の兄弟の綱重、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂が葬られ、増上寺の公式説明では6人の将軍が眠るとされています。夫人や側室、子女を含めると計38人。戦災で焼失した旧徳川家霊廟は、現在の大殿の南北に建ち並ぶ壮麗なものであったと伝えられています。
増上寺の裏門として造られた門は、もっぱら将軍の参詣の際に使われたため「御成門」と呼ばれるようになったとされます。江戸時代は現在の御成門交差点付近にありましたが、明治25年(1892年)の東京市区改正計画で道路が新設された際、今の位置へ移築されました。
芝大神宮の秋祭りは9月11日から11日間続くことから「だらだら祭り」と呼ばれ、「生姜祭」の別名もあります。神社の説明では、伊勢参りが盛んになった江戸時代、収穫期の参詣者を多く受け入れるため祭礼期間を少しずつ延ばして11日間になったとされています。二町四方に生姜の山ができ、三日のうちに売り尽くされたとも伝えられ、今も境内で「御前生姜」が売られています。
高縄手道の記憶——48の墓碑と大木戸の石垣
高輪の名の最も古い記録は、大永4年(1524年)の軍記物語に登場する「高縄原」だと港区は説明しています。高縄とは高縄手道の略語で、高台のまっすぐな道を意味するとされます。今の「高輪」の表記は、正保郷帳(1640年頃)から使われています。
その台地にある泉岳寺には、赤穂義士の墓が並びます。寺の案内では、義士は元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬されたとされています。討ち入り前に切腹した萱野三平の供養墓が明和4年(1767年)9月に建てられており、それを含めて墓碑は48あります。
境内の「首洗い井戸」は、義士が本懐成就の後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供えて報告したところからその名で呼ばれていると伝わります。名前を知って覗き込むと、水面の見え方が少し変わります。
赤穂の話は六本木にも残ります。六本木ヒルズの公式年表によれば、毛利庭園は慶安3年(1650年)に毛利秀元が麻布日ヶ窪の地に上屋敷を設けた土地で、元禄15年(1702年)の吉良邸討ち入りの後、岡島八十右衛門ら10人がこの屋敷に預けられ、翌年切腹したとされています。池は1952年の「ニッカウヰスキー東京工場」の頃から「ニッカ池」と通称されました。
高輪に戻ると、大木戸の石垣が残っています。1710年(宝永7年)に江戸の東海道口として営造された関所で、道路の両側に石垣が築かれ、夜間は通行を止めました。1928年(昭和3年)に国史跡に指定され、明治維新後に廃止されましたが東側の石垣は現存します。伊能忠敬が全国測量の起点に用いたという記録も残ります。
同じ高輪では、2020年3月14日に品川と田町の間で高輪ゲートウェイ駅が開業しました。山手線としては49年ぶりの新設駅で、前回の新駅は西日暮里でした。設計は隈研吾で、東北のスギを多用し、折り紙をイメージした大屋根が特徴です。
汐が留まる場所と、日本で最初のターミナル
新橋の名は、慶長6年(1601年)に設定された新しい東海道にちなむとみられています。港区の説明では、起点ははじめ今の芝一丁目あたりでしたが、3年後に増上寺前の浜辺などを埋め立てて日本橋へ延ばし、この時に新しい橋が架けられたのだと思われるとされています。
新しい幹線道路にふさわしく「新橋」としたのか、汐留川に架かるいくつかの橋の中で「より新しい橋」の意味だったのかは分からない、と区は率直に書いています。隣の汐留の名は、江戸城の外堀と海を仕切る堰がこの付近にあり、「汐が留まる」ことから地名に使われるようになったとされます。
その汐留に、1872年(明治5年)に新橋と横浜の間で開業した新橋停車場がありました。日本最初の鉄道ターミナルで、復元駅舎は開業当時の位置に外観を再現したものです。鉄道歴史展示室ではガラス張りの床から当時の基礎石の遺構を見下ろせ、基礎の「伊豆斑石」は下田付近で産出し、現在は採掘されていません。
海側の旧芝離宮恩賜庭園は、老中の大久保忠朝が藩地の小田原から庭師を招いて作らせ、「楽壽園(らくじゅえん)」と名付けた庭が原型です。幕末には紀州徳川家、明治初期には有栖川宮家の邸地となり、1875(明治8)年に宮内省が買い上げ、翌年に芝離宮となりました。
大正時代の関東大震災で建物と樹木のほとんどが焼失し、翌1924(大正13)年に昭和天皇のご成婚記念として東京市へ下賜され、同年から一般に公開されました。1979(昭和54)年には国の名勝に指定されています。
もう少し海へ出ると台場公園があります。嘉永6年(1853年)6月3日のペリー来航の後、江戸湾巡視の結果、内海防備のための御台場築造が決まりました。工事は同年8月末に着手されて昼夜兼行で進み、第一・第二・第三台場は翌年7月に竣工。土取人夫などは第一から第三台場の築造時で5,000人にも及び、最終的に6基が完成しました。第三台場は都立台場公園として親しまれています。
赤坂に残る享保の社殿と、国宝になった東宮御所
赤坂氷川神社の公式の説明では、天暦5年(951年)に蓮林僧正が御祭神のお告げにより氷川明神の社殿を建てたのが始まりとされています。享保15年(1730年)4月26日、8代将軍の徳川吉宗の命で一ツ木村から現在地へ遷座し、28日には吉宗公直々の参拝があったと記されています。
現在の社殿は享保14年(1729年)、吉宗が老中の水野忠之を責任者として建設させたものです。神社では、この建築物が安政の大地震、関東大震災、昭和20年の東京大空襲など数々の災禍を奇跡的に免れ、創建当時の姿を伝えているとしています。1976年(昭和51年)に東京都の有形文化財に指定されました。
同じ赤坂の迎賓館赤坂離宮は、公式サイトによれば1899年(明治32年)に着工し、1909年(明治42年)に東宮御所として竣工しました。設計は片山東熊が総指揮を務めています。戦後の1968年(昭和43年)に改修工事が始まり、1974年(昭和49年)3月に迎賓館として開館、創建から100年後の2009年(平成21年)に国宝に指定されました。
赤坂で甘いものを探すなら、とらやの赤坂店があります。公式の商品説明では、竹皮包羊羹の「夜の梅」は切り口の小豆が夜に咲く梅の花を思わせる小倉羊羹で、とらやを代表する商品とされています。同じ竹皮包羊羹には、沖縄・西表島産の黒砂糖を使った「おもかげ」、抹茶入りの「新緑」もあります。
333メートルと約330メートル、二つの高さ
東京タワーの333メートルという高さは、見た目で決めた数字ではありません。公式のタワペディアでは、電波科学の専門家が検討した結果、東京を中心とした関東一円をサービスエリアとして電波を送る場合に鉄塔の必要な高さは333メートルであることが判明したと説明されています。
開業当時、この高さはパリのエッフェル塔(324メートル)より高く、自立式鉄塔としては世界最高でした。1957年6月23日の着工から1958年12月23日の竣工まで543日、動員した工事従事者は延べ23万人。創業者の前田久吉には、どうせ作るならエッフェル塔の高さをしのぐものを、という思いがあったと記されています。
夜に見上げるなら、灯の色が季節で変わることを覚えておくと面白いです。公式サイトの説明では、ランドマークライトは毎年7月7日七夕の夜からメタルハライドランプによる白色基調の夏バージョンに、10月初旬の夜から高圧ナトリウムランプによるオレンジ色の冬バージョンへ切り替わります。
その鉄塔の近くに、麻布台ヒルズの森JPタワーが建ちました。地上64階、高さ約330メートルで、2023年6月30日に竣工し11月24日に開業。それまで日本一高かった大阪のあべのハルカス(高さ300メートル、2014年竣工)を抜いて日本一高いビルとなり、333メートルの東京タワーとほぼ同じ高さです。
森ビルの公式説明では、細分化された土地をまとめて超高層タワーを建てることで、足元に約2.4ヘクタール、うち中央広場約6,000平方メートルの緑化空間を生み出す設計とされ、約320種の植栽を配した「Modern Urban Village」というコンセプトが掲げられています。
日が落ちる頃、どちらかの足元に立って、もう一方を見上げてみてください。約330メートルのビルと333メートルの鉄塔がほぼ同じ高さで並び、公式サイトによれば鉄塔の灯は夏なら白、冬ならオレンジに変わるとされています。名前の由来を尋ねて歩いた一日は、この高さを見上げる時間で終わります。
港区クイズ
全3問Q1
愛宕神社の急な石段が「出世の石段」と呼ばれる由来となった逸話は?
残念、不正解 正解は ア「馬のまま石段を駆け上がり梅を取った武士がいた」
神社に伝わる話では、将軍・徳川家光の命を受けた武士・曲垣平九郎が馬のまま急な石段を駆け上がり、山上の梅を手折って献上したと伝えられます。石段は傾斜40度・86段と紹介されています。馬で登る姿を想像しながら、自分の足で挑んでみてください。
Q2
泉岳寺の赤穂義士墓地に並ぶ墓碑は何基?
残念、不正解 正解は ア「48基」
泉岳寺の公式案内では「泉岳寺の墓碑は48墓あります」とされています。元禄16年(1703年)2月4日に切腹した義士たちが直ちにこの地に埋葬され、さらに討ち入りを熱望しながら周囲の反対に遭って切腹した萱野三平の供養墓が加わるためです。一基ずつ名前を確かめながら歩いてみてください。
Q3
東京タワーの高さ333メートルはどうやって決まった?
残念、不正解 正解は ア「関東一円に電波を届けるのに必要な高さを計算した結果」
公式の説明では、関東一円をサービスエリアとして電波を送るのに必要な鉄塔の高さが333mだと分かったからで、昭和33年の開業と数字がそろったのは偶然の一致とされています。創業者にはエッフェル塔をしのぐ塔をという思いもあったとか。見上げて3の並びを思い出してみてください。
出典
この記事は次の資料にもとづいて書いています。
- 1.地名の歴史(芝地区)(港区)
- 2.地名の歴史(麻布地区)
- 3.地名の歴史(高輪地区)(港区)
- 4.相沢正人 プロフィール|講演依頼.com
- 5.「シロガネーゼ」のこと~港区白金・白金台のエリア豆知識
- 6.【東京三大たい焼き】麻布十番「浪花家総本店」・人形町「柳屋」、もう一店舗は?
- 7.元祖たい焼きの麻布十番「浪花家総本店」
- 8.麻布十番 豆源 オンラインショップ
- 9.豆源(まめげん)|「桜田門外の変」が誕生のきっかけ!?
- 10.港区-デジタル版 港区のあゆみ:港区史 自然編(港区)
- 11.愛宕神社トリビア(愛宕神社)
- 12.愛宕神社 東京23区最高峰の神社!?出世の石段を登って運気アップ!
- 13.千日詣り ほおづき縁日
- 14.6月23日・24日は「出世の石段」を上ろう!千日詣り・ほおづき縁日
- 15.三解脱門 建立400年記念特別公開|大本山 増上寺(大本山 増上寺)
- 16.徳川将軍家墓所|大本山 増上寺(大本山 増上寺)
- 17.Onarimon|港区観光協会(港区観光協会)
- 18.【御成門】徳川家ゆかりの地が先進オフィス街へ!(三菱地所リアルエステートサービス)
- 19.芝大神宮 だらだら祭り
- 20.第9回 東京・芝大神宮の「生姜」
- 21.境内案内|曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺(萬松山 泉岳寺)
- 22.庭園の歴史年表|六本木ヒルズ(森ビル)
- 23.高輪大木戸跡|文化遺産オンライン(文化庁)
- 24.高輪ゲートウェイ駅開業 山手線に49年ぶり新設(日本経済新聞)
- 25.港区今昔STORY 第3回 旧新橋停車場(キスポート)
- 26.旧新橋停車場|東日本鉄道文化財団
- 27.港区自慢の宝ものを訪ねて 第16回 旧芝離宮恩賜庭園(キスポート)(港区スポーツふれあい文化健康財団)
- 28.台場の歴史|お台場海浜公園&台場公園(東京港埠頭)(東京港埠頭株式会社)
- 29.赤坂氷川神社について|赤坂氷川神社
- 30.迎賓館赤坂離宮について|迎賓館公式サイト
- 31.とらや 竹皮包羊羹 夜の梅(商品ページ)
- 32.とらや 竹皮包羊羹 おもかげ(商品ページ)
- 33.とらや 竹皮包羊羹 新緑(商品ページ)
- 34.とらや 店舗一覧
- 35.やっぱり「とらや」でしょ!500年の歴史を調べてみたら伝説がありすぎた!
- 36.タワペディア|東京タワー(東京タワー)
- 37.東洋経済オンライン「「東京タワー」が高さ333mで立っている理由」(東洋経済新報社)
- 38.ライトアップ|東京タワー(東京タワー)
- 39.「麻布台ヒルズ」11月24日オープン 330mタワマンは高さ日本一(東京新聞)
- 40.東京タワーに並ぶ330メートル「麻布台ヒルズ」開業(nippon.com)
- 41.麻布台ヒルズ:コンセプト|森ビル
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