まちばなし

東京都 千代田区

千代田区を歩く、天守を建てなかった城跡から北を向いた古書店街まで

江戸城の天守台と濠端の門、九段坂の高燈籠、赤レンガの東京駅、神田明神と天下祭、須田町の蕎麦屋、そして北を向いた古書店街まで。千代田区の地名と建物の由来をたどりながら歩く読み物です。

公開 出典 41件

東京都千代田区の風景
写真: ANTHR_Photoblog(pixabay)

東京の真ん中にある城跡は、門から始まります。皇居東御苑の大手門は城と城下町をつなぐ門で、徳川時代を通じて江戸城の表門として使われてきました。高麗門、桝形広場、渡櫓門という形も当時のまま残っています。そして門をくぐった先に、天守はありません。

城跡を離れて靖国通りを西へ向かえば、美術や武道、洋書に料理と、専門分野ごとに分かれた古書店が軒を連ねます。神田のあたりには400店以上のカレーを出す店が集まるとも紹介されています。石垣と本とカレーのあいだを行き来できるのが、この町を歩く楽しみです。

天守を建てなかった城と、濠端の門をめぐる

大手門は慶長12年(1607年)に築城の名手・藤堂高虎が建て、のちに伊達政宗らが修復しました。高麗門をくぐると桝形の広場に出て、そこで直角に折れてから渡櫓門へ進みます。敵の足を止めるための折れ曲がりを、いまは誰もがのんびり歩いています。

本丸の南の隅に立つのが富士見櫓です。宮内庁の解説によれば、高さ16メートルのこの櫓は明暦3(1657)年の大火で天守とともに焼け、万治2(1659)年に再建されました。江戸時代には、将軍がこの櫓の中から富士山や品川の海、両国の花火を眺めることもあったといいます。

いっぽう天守は戻りませんでした。明暦の大火で江戸城天守は焼失し、天守台の石垣は加賀藩前田家の寄進で築かれましたが、将軍後見役だった会津藩主・保科正之が、被災した人たちの救済と江戸の街の再建が先であろうと宣言し、天守の再建は見送られました。

皇居正門の前に架かる橋は、通称を二重橋といいます。公式の説明では、濠の水面から西の丸までの高さが約20メートルもあって普通には橋脚を立てられず、まず下方に橋脚を立てて橋桁を渡し、それを土台にして上にも橋脚を設ける二重構造の木橋が架けられ、その構造から二重橋と呼ばれるようになったとされています。

橋の外側には、馬上の楠木正成像が立っています。住友の社史が伝えるところでは、別子銅山開坑200周年を控えた住友家13代当主・住友友忠らの発案で、別子銅を用いた像を天皇に献納することが決まりました。高村光雲を主任とする彫刻家らが手がけ、明治29年(1896年)に銅像が完成、明治33年(1900年)に台座も整って二重橋外に竣工しています。

濠に沿って南へ進むと桜田門です。安政7年(1860年)3月3日、登城する大老・井伊直弼の行列が、雪の降るなかで水戸藩浪士17名と薩摩藩士1名の計18名に襲われました。日米修好通商条約を勅許なしに締結したことなどが、反発を招いていました。

重要文化財としての解説では、いま建つ桜田門は明和9年(1772)の大火のあと、安永3年(1774)までに再建されたものと説明されています。高麗門と櫓門が桝形虎口をつくる構造で、昭和36年(1961年)に旧江戸城外桜田門として国の重要文化財に指定されました。寛永年間(1624~44)の創建という伝えも残ります。

濠沿いに西へ回ると半蔵門があります。文化財の説明板には由来が二つ挙げられていて、伊賀者の服部半蔵がこのあたりに配下とともに屋敷を拝領していたという説と、山王祭礼の象の山車が枡形門をくぐりきれず半分しか入らなかったという説が並びます。どちらが正確かは確定していません。

坂の上の招魂の杜と、海まで届いた灯

九段坂の名は、坂に9段の石垣を造ったことにちなむと伝わります。明治4年(1871年)に坂の上へ建てられた高燈籠、通称・常燈明台は文明開化の一環で、その灯は夜の東京湾からも見えるほどだったという言い伝えがあります。坂の傾きは、海との距離の記憶でもあったわけです。

坂をのぼりきったところに靖国神社があります。社史によると、明治2年(1869年)6月、軍務官知事仁和寺宮嘉彰親王の命を受けた副知事の大村益次郎らが、九段坂上三番町の旧幕府歩兵屯所跡を招魂社の建設地として検分し、同年6月29日から5日間、招魂祭が執り行われました。明治12年(1879年)に靖国神社と改称されています。

その大村益次郎の銅像が境内に立っています。神社側の説明では、明治26年に門人らの篤志で完成した高さ12メートルの像で、彫刻家・大熊氏廣が制作した日本最初の西洋式銅像とされ、たちまち東京の新名所になったといいます。上野で立てこもった彰義隊のいた北東をにらむ姿は、江戸城富士見櫓からの見立てに基づくそうです。

北の丸へ足をのばすと日本武道館が建っています。1964年の東京オリンピックの柔道競技会場として、1963年10月の着工からわずか12ヶ月で1964年9月に完成し、同年10月3日に開館式が行われました。設計は山田守、法隆寺夢殿をモデルにした八角形の意匠で、大屋根の稜線は富士山をイメージしています。

赤レンガの街区と、ドームが戻った駅

丸の内は三菱が切りひらいた街区です。三菱地所設計が伝えるところでは、海から陸への転身を決めた三菱が1890年(明治23年)に丸の内の一括払い下げを受け、同年、設計のルーツとなる丸ノ内建築所を設置しました。建築家ジョサイア・コンドルを顧問に迎え、コンドル設計の1号館を皮切りに続いた街並みは、やがて一丁ロンドンと呼ばれるようになりました。

その街区の玄関が東京駅です。丸の内駅舎は1914年(大正3年)12月20日に開業し、東京帝国大学教授だった建築家・辰野金吾が設計を手がけました。赤レンガの壁を見上げるとき、設計者の名前を覚えておくと、同じ景色が少し違って見えます。

この駅舎は1945年5月25日の空襲で屋根と内装、3階部分、南北のドームを失い、角ばった八角屋根の2階建てになりました。強固な煉瓦壁は残り、その姿が約60年間保たれたのち、2007年着工・2012年完成の保存・復原工事で開業当時の姿を取り戻しています。

丸の内から永田町へ移ると、国会議事堂が正面に見えます。国立国会図書館の資料によれば、当時は帝国議会議事堂と呼ばれたこの建物は大正9年(1920年)に着工し、着工から約17年の時を経て昭和11年(1936年)11月に完成しました。

町名が覚えている、田と旗本と坂のこと

神田という地名は、区の公式な解説では神宮へ供進する稲をつくる田という意味だと説明されています。みた、みたしろ、みとしろなども同義語で、400年以上前の小田原北条氏文書には神田内新堀方や神田之坂之上といった記載があり、平将門の子孫である神田氏が住んでいたと伝えられています。

駿河台はもと本郷・湯島台と地続きで、神田山と呼ばれていました。町名由来板では、家康が町づくりのためにこの山を切り崩して日比谷入江を埋め立て、神田川の開削で台地が切り離されたとされています。家康が駿府で没したのち、駿河から帰った旗本たちが、江戸城に近く富士山が望めるこの地に多く屋敷を構えたことが名の由来だそうです。

番町の名は、人の配置から生まれました。別の町名由来板によると、江戸城に入った徳川家康は城の西側の守りを固めるため、この一帯に大番組に属する旗本たちを住まわせたといいます。そこから番町という地名が生まれ、界隈には多くの武家屋敷が並んでいました。

麹町のほうは由来が定まっていません。区の解説には、武蔵の国府である府中へ行く国府路あるいは国府方という地名から、小路が多いから、麹屋があったからなど、複数の説が挙げられています。麹町という書き方そのものは、将軍家光の頃、正保年間に定着したと記されています。

神田淡路町の町名は1872年(明治5年)に正式に付けられ、鈴木淡路守の屋敷があったことに由来する淡路坂にちなむとされています。江戸時代のこの地は寺地だったのち武家屋敷地となり、内藤伊賀守の屋敷を経て、豊後府内藩大給松平家の上屋敷になりました。

将門をまつる杜と、火除けの原に生まれた街

神田明神の由緒では、天平2年(730年)に武蔵国豊島郡、いまの千代田区大手町にあたる場所で創建されたと伝えられています。天慶3年(940年)に没した平将門の霊を弔って関係者が将門塚を築き、徳治2年(1307年)に時宗の真教上人が将門公の霊を化導して板碑を建立、延慶2年(1309年)に将門公が祭神として合祀されました。

将門公は昭和59年(1984年)に三の宮として改めてご祭神へ復座したと記されています。社の名の下に将門の名があることを知ってから境内に立つと、神田という町の成り立ちの奥行きが少し変わって感じられます。

この社は神田・日本橋・秋葉原など108町会の氏神だと紹介されています。だいこく様こと大己貴命は天平2年(730年)に鎮座した国土経営・夫婦和合・縁結びの神様、えびす様は商売繁昌・医薬健康・開運招福の神様で、正月三が日には約30万人の参拝客が訪れるそうです。

随神門を入った左手には、昭和51年(1976年)に完成しただいこく様尊像が据えられています。高さ6.6メートル、重さ約30トンの石造りの大黒天像だと伝えられています。見上げる角度を探しているうちに、写真の構図に悩むことになります。

神田祭は江戸幕府の保護を受け、行列が江戸城の内曲輪内へ、2基の神輿と36番45本前後の山車や附祭とともに練り込みました。神社では、徳川将軍の上覧があったことから江戸の庶民にいつからか天下祭と称されるようになったと伝えています。延宝年中までは毎年でしたが、山王祭と隔年で斎行することになり、以後2年に一度が恒例です。

氏子の町のひとつ、秋葉原の名は火から生まれました。1869年の神田相生町の大火で1100戸が焼けたあと、東京府は約9000坪の火除地を設け、明治天皇の勅命で皇居から火除の神である秋葉権現を勧請して鎮火社が建てられたと説明されています。当初の地図には鎮火社とだけ記され、秋葉の文字が現れるのは明治10年代になってからだと記録されています。

スポット紹介によると、その秋葉原で、2005年12月8日、会いに行けるアイドルというコンセプトのもと、外神田のドン・キホーテ秋葉原店8階にAKB48劇場が開場しました。最初の公演の来場者はわずか7人。収容人数250席のこの場所が、いまも活動拠点であり続けていると書かれています。

須田町あたりの暖簾をくぐる

江戸っ子という言葉には、はっきりした範囲があるといわれます。町人のなかでも職人や棒手振(ぼてふり)らで、神田明神と山王権現の氏子の土地に生まれ三代以上住んでいる者を指し、神田川と渋谷川、この二つの川に挟まれた土地の出身者をいうのだと伝わります。気風はいなせでさっぱりとし、宵越しの銭は持たないが信条だったという言い伝えもあります。

その土地の蕎麦屋が須田町や淡路町に残ります。かんだやぶそばは明治13年(1880年)の創業です。江戸前蕎麦の御三家のひとつ、藪の総本家にあたる店として案内されており、とろろ汁にそばを絡めたそばとろと鴨せいろうそばが名物です。明治17年創業の神田まつやは、出汁の効いた濃いめのつゆに鶏肉をたっぷり入れ、柚子が香るかしわ南蛮そばが名物だとのことです。

あんこう鍋のいせ源は、1830年(天保元年)に立川庄蔵が中橋広小路で開いたいせ庄が始まりで、二代目の立川源四郎が神田連雀町、いまの神田須田町に移していせ源と改めたと伝えられています。大正期の四代目・立川政蔵の頃にあんこう鍋の専門店となり、本館は大正12年の関東大震災で全焼したのち、昭和5年(1930年)に建て直された建物です。

同じ須田町の甘味処・竹むらは昭和5年(1930年)創業で、北海道小豆を原料とした自家製の餡を使い、春から夏はあんみつや氷しるこ、秋から冬は揚げまんじゅうや粟ぜんざいが供されると紹介されています。木造3階建ての入母屋造りの建物は、東京都選定歴史的建造物です。

甘いもののあとは辛いものです。神田地区は400店以上のカレー提供店が集まる日本のカレーの聖地と呼ばれ、そのなかから神田のナンバーワンを決める神田カレーグランプリ決定戦が毎年開かれるとのことです。食べ歩きに順位がつく町は、そう多くありません。

北を向いた本棚と、本の回廊

観光協会の紹介では、靖国通りを駿河台下交差点から西へ向かうと、およそ130店の古書店が建ち並ぶとのことです。北を向いている古書店が多いのは、店頭に並ぶ本が日焼けするのを防ぐためなのだとか、とも書かれています。棚の向きに理由があると知ると、店先の立ち読みも少し楽しくなります。

秋には東京名物神田古本まつりが開かれます。イベント紹介には、青空掘り出し市は100万冊、会場は神保町交差点あたりの靖国通り沿いで、約500メートルの本の回廊が出現するそうです。特選古書即売展は東京古書会館の地下ホールで、青空の市は雨天中止です。

毎年恒例の神保町ブックフェスティバルもあります。昨年は参加出版社が150社を超え、ブースも人出も過去最高を記録したとのことです。絵本や児童書を集めたこどもの本ひろばが開かれ、神保町のグルメ店も出店し、サイン会や講演会、音楽ライブが2日間にわたって続きます。

歩き疲れたら、古書店街には喫茶店やカレー店も多いと観光協会は伝えています。さぼうるやラドリオ、ボンディといった名前が並びます。買った本をかばんに入れて来た道を戻ると、朝にくぐった大手門の桝形が、ずいぶん遠い時間のことに思えてきます。

千代田区クイズ

全3問
  1. Q1

    靖国神社の大村益次郎銅像は、どの方角をにらんでいる?

  2. Q2

    神田明神の随神門を入った左手に立つ石造の「だいこく様」。その高さは?

  3. Q3

    神保町の古書店に北向きの店が多い理由として紹介されているのは?

出典

この記事は次の資料にもとづいて書いています。

  1. 1.江戸城の正門だった貴重な門「大手門」
  2. 2.大手門(三の丸大手門)
  3. 3.家綱の叔父・保科正之が天守無用論を唱えた?「江戸城4代天守」はなぜ再建されなかったのか?
  4. 4.Q&A 1-9. なぜ天守は再建されなかったのですか?
  5. 5.神保町古書店街(スポット紹介)(千代田区観光協会)
  6. 6.神田カレーグランプリ決定戦2025(千代田区観光協会)
  7. 7.園内に残る歴史的建造物と皇居附属庭園の美
  8. 8.二重構造の木橋がはじまり「二重橋」
  9. 9.楠木正成像|住友の歴史
  10. 10.皇居外苑の楠木正成像
  11. 11.桜田門外の変/ホームメイト
  12. 12.重要文化財「旧江戸城外桜田門」の保存修理工事の完了について
  13. 13.半蔵門(千代田区文化財説明板)
  14. 14.海が見える江戸の一大名所だった「九段坂」の歴史と周辺観光スポット
  15. 15.靖國神社史
  16. 16.大村益次郎銅像
  17. 17.“日本初の西洋式銅像” 大村益次郎銅像
  18. 18.日本武道館について
  19. 19.「東京の名建築⑫ 日本武道館」
  20. 20.第3章 一丁ロンドンの誕生──コンドルの時代
  21. 21.東京駅丸ノ内駅舎|日本のレガシーをのこす
  22. 22.東京駅の歴史と建築を徹底解説
  23. 23.第2章 本議事堂の完成|本の万華鏡 第28回 国会議事堂ができるまで
  24. 24.住居表示と町名の情報 神田と麹町
  25. 25.町名由来板:駿河台(西)(するがだい(にし))
  26. 26.町名由来板:一番町(いちばんちょう)
  27. 27.町名由来板:淡路町一丁目(あわじちょういっちょうめ)
  28. 28.HISTORY 神田明神1300年事業
  29. 29.神田明神とは
  30. 30.境内案内 神田明神
  31. 31.神田祭の歴史(神田明神(神田祭公式サイト))
  32. 32.「神田祭」の開催はいつ?日程やお祭りの見どころをご紹介(JR東日本)
  33. 33.秋葉原(JY03): 「火除の神」秋葉権現が駅名の起源
  34. 34.AKB48劇場(スポット紹介)
  35. 35.江戸っ子の呼称と気質
  36. 36.かんだやぶそば(スポット紹介)(千代田区観光協会)
  37. 37.神田まつや(スポット紹介)(千代田区観光協会)
  38. 38.いせ源の由来(いせ源)
  39. 39.竹むら(スポット紹介)(千代田区観光協会)
  40. 40.第64回 東京名物神田古本まつり(千代田区観光協会)
  41. 41.第29回 神保町ブックフェスティバル(実行委員会主催)(千代田区観光協会)

この記事は、出典で確認できた事実をもとに AI の補助を受けて構成し、公開前に出典との照合を行っています。詳しくは編集方針をご覧ください。

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