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東京都 新宿区

新宿区を歩き直す——内藤新宿の宿場跡、浄水場跡のビル街、路地に残る伝承

甲州街道の宿場だった内藤新宿、淀橋浄水場の跡に建った西口のビル街、ゴールデン街の七本の通り、高田馬場の馬場跡と駅の発車メロディまで、東京都新宿区の成り立ちを場所ごとにたどります。

公開 出典 34件

東京都新宿区の風景
写真: ANTHR_Photoblog(pixabay)

新宿駅は、ギネス世界記録に「世界で最も利用者が多い鉄道駅」として認定されています。根拠になったのは、2022年の1日平均利用者数270万4703人という数字です。しかもこれは、コロナ禍前の水準から約2割減った数字だと説明されています。歩き出す前から、この町の規模が数字で分かります。

その駅の周辺と西新宿、歌舞伎町までを氏子町としているのが十二社熊野神社です。室町時代の応永10年(1403年)、中野長者と呼ばれた鈴木九郎が故郷である紀州の熊野三山から十二所権現をすべて祠ったと伝えられています。新宿の総鎮守が見ている範囲は、思っているより広いのです。

甲州街道の宿場「内藤新宿」がこの町の名になった

新宿という地名は、甲州街道の宿場から来ています。新宿区の公式サイトの説明では、日本橋から最初の宿場・高井戸までの距離が長く旅人が難儀したため、名主・高松喜六らの願いにより中間地への宿場設置が認められたとされます。その宿場が内藤氏が幕府に返上した屋敷地に置かれたことと、新しい宿という意味から「内藤新宿」と呼ばれ、これが新宿の地名の起こりになりました。

開設の年もはっきり残っています。浅草の名主・高松喜兵衛、のちの喜六が同志4人とともに幕府へ願い出たのが1697年、宿場が開かれたのが1699年です。場所は内藤家下屋敷の一部で、現在の新宿御苑の北側にあたります。

宿場の名残を探すなら太宗寺です。境内には江戸六地蔵の一つに数えられる銅造地蔵菩薩坐像があり、東京都指定有形文化財になっています。宿場町の内藤新宿にあったため多くの参詣者を集め、門前町も発展しました。

花園神社は、江戸時代以前に大和国吉野山から勧請した稲荷社だと新宿観光振興協会は伝えています。近隣にあった尾張徳川家別邸の庭園「花園」にちなんで「花園稲荷」とも称されたと説明されています。江戸時代には、火災からの復興資金を集めるため「三光院芝居」として賑わいを見せたといいます。

新宿御苑も、もとは内藤家の下屋敷です。玉川上水の余水を利用した庭園「玉川園」が1772年に完成し、一般に開放されていました。1872年に大蔵省が土地を購入して内藤新宿試験場を設立、1879年に宮内省所管となって「植物御苑」と改称。1906年にフランス人技師マルチネの設計で庭園が完成して皇室庭園「新宿御苑」となり、戦後の1949年に国民公園として一般公開されました。

淀橋浄水場の跡地に立ち上がった西口のビル街

西口の高層ビル街は、水道施設の跡地にできました。淀橋浄水場は1898年(明治31年)12月に神田・日本橋方面への給水を開始し、1965年(昭和40年)3月31日に約70年の歴史を閉じて廃止されます。東京都はその跡地約59ヘクタールを1960年(昭和35年)に新宿副都心計画の対象として決定し、1971年(昭和46年)の京王プラザホテルを皮切りに超高層ビルが次々に建ちました。

その皮切りになった京王プラザホテルは、1971年6月5日に開業した日本初の超高層ホテルです。地下3階・地上47階建てで、当時は日本で一番高い建物でした。47階の展望室は開業当初から人気で、連日多くの人でにぎわったといいます。

東京都庁舎を設計したのは一級建築士・丹下健三です。48階建ての第一本庁舎、34階建ての第二本庁舎、7階建ての都議会議事堂からなり、1990年12月に竣工、1991年4月に有楽町の旧庁舎から移転しました。45階の展望室では、地上202メートルからの眺望が楽しめます。

西新宿には富士塚も残っています。成子天神社の境内奥にある新宿区登録史跡の富士塚は、もとあった天神山という小山を大正9年に改造したもので、高さは約12メートル。この成子富士は、新宿区内で最後に造られた富士塚とされます。東日本大震災では山頂付近が一部崩れましたが、修復が成りました。

新宿西口の思い出横丁の前身は闇市でした。横丁の公式サイトの説明では、昭和21年頃、焼け野原となった西口近辺に露天商や屋台が並び、統制経済時代の闇市「ラッキーストリート」が出現したとされます。昭和22年頃には統制品の取り締まり強化でもつ焼き屋が増え、昭和34年頃の営団線延長と再開発で、約300軒からパレットビル(新宿西口会館)から青梅街道までの規模に縮小しました。

ゴジラが見下ろす歌舞伎町と、七本の通りのゴールデン街

歌舞伎町のシンボルは、新宿東宝ビルの屋上にいる高さ約12メートルのゴジラヘッドです。毎日12時から20時まで、1時間に1回、咆哮と発光の演出が行われます。TOHOシネマズ新宿が入るビルの上なので、場所を探すより時間を合わせて立ち止まるほうが早いかもしれません。

ゴールデン街の始まりは、1945年の終戦直後です。新宿駅東側にあった闇市が進駐軍によって現在のゴールデン街がある三光町へ移され、当時は建物もほとんどないススキ野原のような空き地でした。1958年の売春防止法全面施行までは非合法の売春地帯「青線」として機能し、施行後に飲み屋街へ転換、1970年前後には作家や詩人などの文化人が集まる街になりました。

通りを数えると、この街の形が見えてきます。ゴールデン街は東西に6本、南北に1本、計7本の通りで主に構成されています。北側の「新宿三光商店街振興組合」と南側の「新宿ゴールデン街商業組合」という2つの組合があり、ひと続きに見えて成り立ちの違う2つのエリアが並んでいます。

新宿三丁目には、新宿中村屋の「純印度式カリー」の話が残ります。中村屋の公式サイトによれば、発売は1927年6月12日。創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻にかくまわれていたインド独立運動の志士ラス・ビハリ・ボースが、インディカ米に似た白目米や骨付きの鶏肉、強いスパイスの香りを特徴とする本場インドのカリーを提案したとされています。価格は80銭で、当時の町の洋食屋のカレーが10〜12銭程度だったのに、飛ぶように売れたと記録されています。

百人町の鉄砲組から、尾張藩の庭に残る山まで

百人町には皆中(みなあたる)稲荷神社があります。神社の公式サイトによると、寛永年間に徳川幕府が「鉄炮組百人隊」を現在の百人町に駐屯させ、射撃の研究に精魂を傾けていた与力の夢枕に稲荷之大神が立って霊符を示されたと語り伝えられています。この話が近郷近在に伝わり、世人がこの神社を「皆中の稲荷」と称えるようになったそうです。

大久保の職安通りという名前は、通り沿いに職業安定所、今のハローワークがあったことに由来します。現在はJR新大久保駅から職安通りにかけてのエリアに韓国関連の店舗が集まっていて、名前の由来と街の顔が時代でずれているのが面白いところです。

戸山公園には、江戸の庭園が残した山があります。この一帯は尾張藩の徳川光友が寛文年間(1661〜1673年)に造った広さ約449,000平米の戸山荘で、園内に築かれた玉円峰と呼ばれる人工の山が、今の箱根山です。高さは44.6メートル。公園では、登頂した証として登頂証明書を発行しています。

四谷のお岩稲荷と、石段の上から始まる物語

四谷の於岩稲荷田宮神社は、怪談より先に実在の人がいた稲荷です。新宿観光振興協会の案内では、実際のお岩は幕府の御家人・田宮又左衛門の娘で、養子伊左衛門の貞淑な妻として代々家に伝わる稲荷を信仰していた人物だと記されています。

怪談と結びついたのは、後のことです。四代目鶴屋南北が書いた「東海道四谷怪談」が文政8年(1825年)に江戸浅草の中村座で上演され大当たりしたことで、このお岩にあやかろうとお岩稲荷の信仰が盛んになったといわれています。明治5年頃に「田宮稲荷」と改名され、旧地は東京都指定旧跡として保護されています。

同じ四谷の須賀神社には、長い石段があります。旅行ガイドの記事では、映画『君の名は。』のキービジュアルやラストシーンにこの階段が描かれ、聖地巡礼と称して多くのファンが訪れることで有名になったと紹介されています。坂名を記す案内板は現地になく、参道につくられることが多い男坂と同様に「須賀神社男坂」と呼ぶ専門家も多いそうです。

四谷見附橋は、1913年の完成です。新宿区の文化観光資源の案内によると、東宮御所、現在の迎賓館赤坂離宮付近の景観と調和をはかるため、ネオ・バロック様式の高欄や橋灯などで装飾されました。平成3年(1991年)10月に東京都の街路整備計画で二代目へ架け替えられ、初代は八王子市の長池公園に「長池見附橋」と名を変えて移設・再建されています。

高田馬場という馬場の名残と、駅に流れるアトム

高田馬場という地名は、本物の馬場から来ています。1636年(寛永13年)、三代将軍・徳川家光により、旗本らの馬術の訓練のための馬場が造営されました。「高田」の名は、この場所に徳川家康の側室「茶阿局」の別荘地があったためといわれます。

その馬場では決闘もありました。1694年(元禄7年)、伊予西条藩の二人の藩士、菅野六郎左衛門と村上庄左衛門の口論が高田馬場での果し合いに発展し、中山安兵衛が助太刀に入って菅野を援助したと伝わります。この功績により安兵衛は堀部家に迎え入れられ、後に赤穂義士となったといいます。

馬場は、将軍家の奉納の場でもありました。八代将軍・徳川吉宗は世嗣の疱瘡平癒祈願のため、1728年(享保13年)に流鏑馬を高田馬場で行い、穴八幡宮に奉納しました。その後も歴代将軍による奉納が続きました。

その穴八幡宮で知られているのが「一陽来復」御守です。神社の公式サイトでは、この御守を毎年12月冬至の日から2月節分の日まで頒布するとしています。当社に伝えられる福神(打出小槌)に起因し、聖武天皇が養老七年の冬至の日に龍神より授けられた宝器と伝えられるもので、金銀融通の御守とも呼ばれ、他に類例のない全国唯一のものとされています。

高田馬場駅の発車メロディは『鉄腕アトム』のテーマ曲です。手塚治虫が1976年から88年までこの街に仕事場を構え、現在も手塚プロダクションの本社があることが由来です。

実現までには説得がありました。メロディは地元の西商店街が発案してJRを説得したもので、当初JRは「盲人の方が聴き取りにくいのではないか」と難色を示しましたが、2ヶ月の試行で好評だったため継続が決まりました。外回りと内回りでアレンジが微妙に違うそうなので、乗り換えのついでに聞き比べられます。

駅前の壁画にも、同じ商店街が関わっています。1993年夏に「手塚作品の壁画を高田馬場にかけたい」という話が高田馬場西商店街振興組合で出て、約4年半の調整を経て1998年4月に最初の壁画が完成しました。2005年の駅の改修工事でいったん撤去され、2008年3月に新しく製作された2枚目とともに目白側のガード下へ再設置されています。2枚目のテーマは、高田馬場にゆかりのある文豪や高田馬場の歴史です。

早稲田の学び舎から、由来の分からない坂へ

早稲田大学の前身は、1882年(明治15年)10月21日に大隈重信が創設した「東京専門学校」です。大隈の別邸が早稲田村に、校舎が戸塚村にあったことから「早稲田学校」とも呼ばれ、1902年9月2日付で大学へ昇格したのを機に「早稲田大学」へ改称しました。

早稲田南町7番地には、夏目漱石が晩年を過ごし1916年に没した旧居「漱石山房」がありました。新宿区は漱石生誕150周年にあたる平成29年(2017年)9月24日、この終焉の地に、漱石にとって初の本格的記念館「新宿区立漱石山房記念館」を開館しています。

早稲田の甘泉園公園(かんせんえんこうえん)の名は、ここから湧く泉の水がお茶に適していたところから来たと新宿区は説明しています。安永三年(1774年)に初代清水家の江戸下屋敷が置かれ、明治以降は子爵相馬邸の庭園として整備され、昭和には早稲田大学が付属甘泉園として譲り受けました。区立公園としての開園日は昭和44年7月1日です。

面影橋のあたりは、「山吹の里」の伝説の地とされます。文明年間(1469〜86年)、太田道灌が鷹狩りの途中で急な雨に降られ、蓑を借りようとした農家の娘が山吹の花を差し出しました。意味が分からず帰った道灌は、後に古歌「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき」の意だと知り、和歌の道に励むようになったと伝わります。この娘は紅皿といい、その墓と伝わる碑が新宿6丁目の大聖院にあります。

名前の由来が分からなくなることもあります。神楽坂の坂名について、新宿観光振興協会は三つの説を挙げています。市谷八幡の祭礼でみこしがここで神楽を奏するため、若宮八幡の神楽が坂まで聞こえてくるため、赤城明神の神楽堂があったため。そして江戸時代中期にはすでに、どの説が正しいか分からなくなっていたと記されています。

それでも坂は残り、街になりました。新宿区の地区計画資料によれば、神楽坂は明治時代末から花街・繁華街として栄え、兵庫横丁などに石畳と黒塀による路地景観が残っています。区は平成2年(1990年)からまちづくりを進め、この路地景観の保全を地区計画の目標としています。由来が分からなくなった名前を、分からないまま抱えて今日も人が上り下りする坂です。新宿区の歩き方は、たぶんそのあたりにあります。

新宿区クイズ

全3問
  1. Q1

    西新宿の成子天神社。高層ビルのそばにある境内の奥に残っているものは?

  2. Q2

    新大久保のコリアンタウンを貫く「職安通り」。名前の由来は?

  3. Q3

    JR高田馬場駅の発車メロディに『鉄腕アトム』が使われるようになったきっかけは?

出典

この記事は次の資料にもとづいて書いています。

  1. 1.Busiest railway station
  2. 2.「世界最多の駅利用者数」としてギネス世界記録に認定の駅が、東京に!
  3. 3.十二社熊野神社の歴史 - 十二社熊野神社
  4. 4.新宿区について(名前の由来・歴史・地勢) - 新宿区公式サイト
  5. 5.内藤新宿さんぽ絵図 内藤新宿とは
  6. 6.太宗寺
  7. 7.花園神社
  8. 8.新宿御苑の歴史
  9. 9.東京近代水道ギャラリー(淀橋浄水場)
  10. 10.超高層ビル街
  11. 11.京王プラザの歩み - 京王プラザホテル
  12. 12.日本の超高層ホテル第1号が開業(1971年6月5日) - 現代ビジネス(講談社)
  13. 13.都庁舎
  14. 14.成子天神社 - 新宿観光振興協会
  15. 15.西新宿のパワースポット成子天神社で七福神巡りと富士詣で - ASCII.jp
  16. 16.新宿西口 思い出横丁の歴史
  17. 17.ゴジラヘッド | 新宿東宝ビル SHINJUKU TOHO BLDG 公式
  18. 18.東京「新宿ゴールデン街」の歴史:闇市から青線を経て、酔いどれ天国へ
  19. 19.純印度式カリー|商品の歴史|新宿中村屋
  20. 20.皆中稲荷神社について - 皆中稲荷神社
  21. 21.コリアンタウン発祥の地「職安通り」|新大久保フラッシュ
  22. 22.戸山公園
  23. 23.田宮稲荷神社跡 四谷怪談の旧地 | 一般社団法人新宿観光振興協会
  24. 24.映画「君の名は。」の聖地、東京・四谷の須賀神社階段と界隈の坂道めぐり | トラベルjp 旅行ガイド
  25. 25.四谷見附橋 - 温故知しん!じゅく散歩(新宿区文化観光資源案内サイト)
  26. 26.「高田馬場」の歴史 ~ 高田馬場・早稲田 | まちアーカイブス(三井住友トラスト不動産)
  27. 27.一陽来復御守 - 穴八幡宮
  28. 28.再録・虫さんぽ 第3回:高田馬場・その1 | 虫ん坊 手塚治虫オフィシャル
  29. 29.早稲田の歴史
  30. 30.新宿区立漱石山房記念館について - 新宿区公式サイト
  31. 31.甘泉園公園(かんせんえんこうえん) - 新宿区公式サイト
  32. 32.面影橋
  33. 33.神楽坂 | 一般社団法人新宿観光振興協会
  34. 34.神楽坂地区のまちづくり

この記事は、出典で確認できた事実をもとに AI の補助を受けて構成し、公開前に出典との照合を行っています。詳しくは編集方針をご覧ください。

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