東京都 渋谷区
渋谷区の地名と駅舎をたどる旅 — 金王八幡宮から笹塚十号坂まで
渋谷の名の由来から金王八幡宮の社殿、木造だった渋谷駅と原宿駅、約10万本の献木でできた明治神宮の杜、暗渠の上のセンター街、恵比寿横丁や笹塚十号坂まで、渋谷区の地名と建物に残る話をたどる読み物です。
公開 出典 30件

渋谷という地名の由来は、ひとつに決まっていません。渋谷区立図書館の解説には、「鹽焼く里」が「塩谷の里」となり「シホヤ」から訛ったという説、領主の河崎平三重家が盗賊捕縛の功で「渋谷」の氏を賜ったという説、治承年間に相模国高座郡の渋谷庄から一族が移住して名付けたという説、渋谷川の水が鉄分で赤さび色だったことに由来する説が並んでいます。
どの説が正しいかを決めるより、重なった話をいくつも持ち歩くほうが面白い町です。渋谷駅が生まれたのは1885年、日本鉄道品川線の開通に伴う開業で、開業当時の駅舎は木造の小さな建物でした。図書館の解説に紹介されている、塩とも川の色ともいわれた谷の話が、いまも区内のあちこちに残っています。
「渋谷」の姓と金王丸 — 八幡宮が伝える町の出発点
その説のひとつを今日も伝えているのが、渋谷三丁目の金王八幡宮です。社の由緒では、渋谷氏の祖の河崎重家が禁裏の賊を退治した功で堀河天皇から渋谷の姓を賜り、この八幡宮を中心に館を構えて居城としたとされています。渋谷氏は代々この社を氏族の鎮守と崇め、これが渋谷発祥の由来とされてきました。
創建として伝わるのは、第73代堀河天皇の代、寛治6年正月15日、1092年の鎮座です。源義家が後三年の役での勝利を、河崎基家が信仰する八幡神の加護によるものと考え、この地に八幡宮を勧請したと伝わっています。勝ち戦の礼として建った社、というのが出発点です。
金王という社名にも言い伝えがあります。渋谷平三重家の夫婦がこの八幡宮に祈願したとき、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る霊夢を見たことから、1141年に生まれた男子は明王の名の上下二文字を取って金王丸と名付けられたのだそうです。この名が社名の由来とされています。
いまの社殿は、2代将軍秀忠の時代、慶長17年、1612年に青山忠俊と春日局によって権現造りで造営されたと神社は説明しており、渋谷区の指定文化財です。例大祭は9月14日ごろで、公式の案内では、日曜の午後に渋谷地区の各町会の神輿がSHIBUYA109前に集まり、連合渡御が行われるとしています。
義家にまつわる話は区内の別の場所にも残ります。渋谷区の案内によれば、後三年の役の後に義家が上洛の途中でこの地の池で白旗を洗ったという伝承から幡ヶ谷の名がつき、池は昭和38年に埋め立てられましたが、旗は金王八幡宮の社宝として伝わっているということです。
土筆ヶ原、留貝、千駄の萱 — 地名が覚えている渋谷の地面
渋谷区の公式サイトには、地名の由来を集めたページがあります。広尾はかつてツクシの生い茂る原野で「土筆ヶ原」と呼ばれ、その後「広野」となり、元禄検地のころから「広尾」の字が使われるようになったと書かれています。富ヶ谷は昔「留貝」と呼ばれ、地下10メートルほどに貝の化石層が存在したことが名の由来で、のちに字が変わったという話です。
千駄ヶ谷に残るのは萱の話です。『新編武蔵風土記稿』には、渋谷川上流にあたるこの一帯が萱の茂る野原で、寛永年間の頃に一日「千駄の萱」を積んだことから「千駄萱」と呼ばれ、のちに千駄ヶ谷になったと記されています。太田道灌が谷間の稲の収穫量にちなんで名付けたという説も併記されています。
笹塚の名は、街道沿いの塚から来たと伝えられています。甲州街道の両側にあった塚の上に笹が繁茂していたことから笹塚と呼ばれ、塚は慶長9年、1604年に大久保長安によって設置されたという言い伝えがあります。
道玄坂には人の名が残ります。和田義盛の残党・大和田太郎道玄が、大永4年の渋谷氏滅亡の後にこの坂で山賊行為を働いたという伝承が名の由来という説のほか、『天正日記』にみえる道玄庵という寺の名に由来するという説も併記されており、どちらとも決めかねる坂です。
神泉は、水の記憶が名になった町です。江戸時代から明治20年頃まで「弘法湯」として栄えた霊泉があり、地誌『江戸砂子』にも記載があると区の解説は伝えています。松濤は江戸時代には紀州徳川家の下屋敷で、明治初期に鍋島家が狭山茶を栽培して「松濤園」を開園したことにちなみ、昭和3年から地名として使われるようになったといいます。
恵比寿にいたっては、地名のほうが後からできています。1887年設立の日本麦酒醸造会社が1890年に「恵比寿ビール」を発売し、1901年にビール出荷専用の「恵比寿停車場」ができました。地名としての恵比寿は、1928年に渋谷町の一部が「恵比寿通1・2丁目」に改称されたのが最初で、商品名が駅名を呼び、駅名が町名を呼んだ順番です。
木造の小駅から私鉄のデパートへ、駅前で待っていた犬
渋谷駅のはじまりは1885年、日本鉄道品川線の開通に伴う開業で、駅舎は木造の小さな建物でした。1927年には東京横浜電鉄、いまの東急東横線が渋谷駅へ延伸し、開業当時は島式1面2線ホームの高架駅で、その後段階的に拡張されていきます。
1934年11月1日には、東横線渋谷駅の先端に接続する「東横百貨店」が開業します。関東初の私鉄直営ターミナルデパートで、阪急百貨店の経営を学んだ社員が中心となり、ゼロからデパート経営を立ち上げたものでした。駅と百貨店が一体になる渋谷の形は、ここで生まれています。
その駅前には、よく知られた犬の話があります。ハチ公は大正12年11月に秋田県大館で生まれた秋田犬で、東京帝国大学農学部教授の上野英三郎に飼われました。上野が大正14年5月に急逝した後も故主を待ち続け、昭和10年3月に13歳で渋谷駅前で病没しています。遺骨は国立科学博物館に保存されています。
現地で確かめたいのは、あの銅像が二代目だということです。初代像は彫刻家・安藤照の制作で昭和9年4月21日に除幕式が行われましたが、昭和19年に戦時中の金属回収令により鋳つぶされました。いまの像は安藤照の子息・安藤士の制作で、昭和23年8月15日に除幕式が行われています。
駅舎そのものの話は原宿駅にも残っています。旧駅舎は1924年、大正13年竣工の木造二階建てで、尖塔を載せたハーフティンバー様式、イギリス調の半木骨造のデザインが特徴で、都内最古の木造駅舎でした。2020年3月に役目を終え、同年8月から解体工事が始まりました。
約10万本の献木でできた杜と、練兵場だった代々木の芝生
代々木の明治神宮の杜は、自然林のように見えて人の手で造られた森です。御社殿が鎮座する約70万平方メートルの杜は、創建にあたって全国から献木された約10万本を植栽し、「永遠の杜」を目指して造成された人工林です。木の一本ずつに送り主がいたことを思うと、木陰の見え方が変わります。
隣の代々木公園は、土地の使われ方が何度も入れ替わってきました。敷地は明治42年から終戦までは陸軍の練兵場で、戦後は米軍住宅地「ワシントンハイツ」として利用されました。1964年の東京オリンピックで代々木選手村として一部が使われた後に再整備され、1967年に代々木公園として開園しています。
同じオリンピックに合わせて建てられたのが、国立屋内総合競技場です。丹下健三、坪井善勝、井上宇市の3氏の設計で、吊り屋根方式を用いた独特のデザインは日本を代表する建築として評価されました。第一体育館は水泳の飛込、第二体育館はバスケットボールの会場として使われました。
9,000個の星を映した会館と、段階的に建った代官山
渋谷駅東口、いまの渋谷ヒカリエが建つ場所には、渋谷東急文化会館がありました。開業は1956年12月1日、延床面積約30,000平方メートル、地下1階地上8階で、映画館4館と戦後の大型プラネタリウムなどの文化施設を備えていました。
会館の名物は五島プラネタリウムでした。営業開始は翌1957年4月で、9,000個もの星を球体に投射できました。開業の年は旧ソ連の無人人工衛星「スプートニク1号」の宇宙空間への旅立ちと重なり、宇宙ブームが沸き起こっていました。年間の入場者数は、当時の他のプラネタリウム入場者数の3倍以上に相当する40〜50万人に達しています。
道玄坂側の文化施設は、計画の名前から始まっています。公式の沿革が伝えるところでは、1984年10月16日に東急百貨店を中心に「文化村構想」を含む「渋谷計画1985」が発表され、1986年6月25日の着工を経て、1989年9月3日にコンサートホール、劇場、美術館、映画館を備えた複合文化施設として開業しました。
代官山のヒルサイドテラスは、建ち方そのものが変わっています。公式サイトの「ストーリー」には、槇文彦・槇総合計画事務所の設計で1967年から1992年まで数期に分けて段階的に建設されてきたと記されています。1987年にヒルサイドプラザホール、1992年にヒルサイドフォーラムが完成しました。
暗渠の上の商店会、坂を名付けた喫茶店、そして渋谷系
渋谷センター街は、川の跡にできた街路です。公式サイトによると、かつてここには宇田川が流れ、豪雨のたびに水害をもたらしていました。昭和30年頃の区画整理で「宇田川有楽街」と呼ばれる歓楽街となり、昭和36年、1961年に「渋谷センター商店会」が結成されて街づくりが進みました。
渋谷パルコの近くのスペイン坂は、名前の出どころがはっきりしています。1973年に渋谷で開業したパルコが、スペイン風の内装で営業していた喫茶店「阿羅比花」の店主・内田裕夫に坂の命名を依頼し、内田が自分の店の雰囲気にちなんで名付けました。命名の後、周辺の建物も南欧風の意匠に整えられています。
数字の名前にも仕掛けがあります。SHIBUYA109という名は、運営元である東急の読みを数字の10(とう)と9(きゅう)にあてたものです。建物の正式名称は道玄坂共同ビルで、所有しているのは東急電鉄の完全子会社である東急モールズデベロップメントです。
音楽の呼び名も、この一帯から生まれたと言われています。1990年にオープンしたHMV渋谷店では、1991年頃から邦楽の売上傾向が従来の演歌チャートと異なり始め、独自の客層に向けて「SHIBUYA RECOMMENDATION」という専用コーナーが作られました。
「渋谷系」という言葉の名付け親については、同店の邦楽バイヤーが会話の中で使い始めたという証言と、1993年頃に情報誌『apo』の編集者がHMV渋谷を取材した際に生まれたという証言の双方が伝わっています。言葉のできた瞬間が二通りに語られているのも、この街らしい話です。
仮装の行列も、新聞記録をたどると古くからあります。読売新聞1987年10月18日の記事には、同年10月31日に渋谷区の恵比寿・代官山周辺の商店会や企業が主催し、約2,000人が参加予定の仮装パレードが載っています。朝日新聞1993年11月1日の記事では、1993年10月31日に地元商店会主催で表参道に約3,000人が参加したと報じられています。
紙で巻いたクレープ、横丁、十号坂の菓子
竹下通りのマリオンクレープは、1976年に渋谷公園通りの駐車場の一角でクレープ専門店として創業し、紙で巻いて食べ歩くスタイルは日本で初めてのことだったと公式サイトは記しています。翌1977年に現在地の竹下通りへ出店し、竹の子族などの原宿文化とともに広まりました。
恵比寿横丁は、戦後のバラック市場を起源とする公設市場「山下ショッピングセンター」の跡地に生まれました。2008年5月30日に居酒屋など13店舗が入る横丁として開業し、飲食街を整えるだけでなく、商店街の再生と新しい飲食文化の育成を目的に作られたと説明されています。
盛り場から離れると、町の表情は変わります。笹塚十号坂商店街は坂沿いに続く長さ約120メートルの商店街で、散歩の記録では、昭和30年代創業のパティスリーが「笹塚」や「十号坂」の名を入れた菓子をすべて自家製で作っていると紹介されています。
代々木八幡のベーカリー「365日」のソンプルサンについては、北海道産の小麦粉「穂香(ほのか)」を活かし、モチモチとした食感にするために粉と同量の水で作られていると記事は伝えています。断面の気泡が大きく、口に含むと餅のようなみずみずしさがあるそうです。
歩き終えて残るのは、答えがひとつにならない町だという感触です。渋谷の名の由来には、塩や川の色、授かった姓や相模からの移住といった説が並び、金王八幡宮の由緒はそのうちのひとつを今日も伝えています。どれを採るか決めないまま、次に来たときの楽しみにしておける町です。
渋谷区クイズ
全3問Q1
渋谷駅前の忠犬ハチ公像について、正しいのはどれ?
残念、不正解 正解は ア「戦時中に鋳つぶされ、戦後に再建された二代目」
初代像は彫刻家・安藤照の制作で昭和9年4月21日に除幕されましたが、昭和19年に戦時中の金属回収令で鋳つぶされました。いまの像は安藤照の子息・安藤士の制作で、昭和23年8月15日に除幕された二代目です。待ち合わせの定番が一度失われていたことを、像の前で話してみてください。
Q2
「恵比寿」という地名は、もともと何の名前だった?
残念、不正解 正解は イ「ビールの商品名」
恵比寿はもともと地名ではなく、ビールの商品名でした。「恵比寿ビール」を出す会社が出荷専用の停車場を設け、その名がのちに町の名として使われるようになります。恵比寿駅の改札を出たら、ビールの名が街の名になったことを連れに話してみてください。
Q3
SHIBUYA109の「109」の由来は?
残念、不正解 正解は ア「運営元「東急」の読みの語呂合わせ」
記事によると「109」は、運営元である「東急(とうきゅう)」の読みを数字の「10(とう)」「9(きゅう)」にあてた語呂合わせだと紹介されています。建物の正式名称は道玄坂共同ビル、所有するのは東急電鉄の子会社・東急モールズデベロップメントです。道玄坂の入り口に立つあのビルを見上げて、同行者に出題してみてください。
出典
この記事は次の資料にもとづいて書いています。
- 1.「渋谷」の名はどこからきたの ~渋谷の由来
- 2.渋谷発展の歴史|渋谷再開発&まちづくり|東急株式会社
- 3.ご祈願・ご参拝|【金王八幡宮】
- 4.ご祈願・ご参拝 年間行事 | 金王八幡宮
- 5.地名の由来 | 区の紹介 | 渋谷区ポータル
- 6.渋谷の各地名の由来 千駄ヶ谷編
- 7.恵比寿(JY21): 「ビール」の商品名に由来する全国でも珍しい駅名
- 8.ブランドヒストリー | YEBISU
- 9.7:複数路線が集まる「渋谷駅」の発展 ~ 渋谷 | このまちアーカイブス
- 10.渋谷の「骨格」が消える ターミナルデパート「東急東横店」ヒストリー - シブヤ経済新聞
- 11.ハチ公について知りたい | 渋谷区立図書館
- 12.原宿駅の旧駅舎 月内解体着手 都内最古の木造駅舎は建て替えへ | 乗りものニュース
- 13.原宿駅のシンボル「木造駅舎」が再現で復活へ - 鉄道コム
- 14.明治神宮とは|明治神宮
- 15.代々木公園 公園の概要と戦前、戦後の歴史
- 16.国立屋内総合競技場(代々木競技場)|JOC 日本オリンピック委員会
- 17.渋谷のシンボルが47年の歴史に幕 サヨナラ「渋谷東急文化会館」 - シブヤ経済新聞
- 18.Bunkamuraの歴史 | 株式会社東急文化村
- 19.ストーリー / HILLSIDE TERRACE
- 20.センター街データ | 渋谷センター街
- 21.スペイン坂の名前の由来?ペンギン通り、オルガン坂、そしてまさか…渋谷の独特な名前の坂道
- 22.「渋谷109」名前の由来わかりますか? 渋谷駅周辺ビルの歴史を調べてみた
- 23.タワレコと渋谷と音楽の歴史〈90年代〉増え出した情報量
- 24.それでも渋谷は音楽の街。レアグルーヴの遺伝子は今も息づく|シブヤ文化漂流記
- 25.「渋谷ハロウィンは若者が勝手に集まった」は本当か? 過去の記録を調べてみると……
- 26.マリオンクレープの歴史 | MARION CREPES 公式
- 27.恵比寿東口のレトロ市場跡に「恵比寿横丁」-居酒屋など13店舗
- 28.恵比寿横丁 | 株式会社浜倉的商店製作所
- 29.ササハタハツ散歩 No.11 笹塚十号坂商店街で、手土産にぴったりな「笹塚名物」を発見!
- 30.代々木八幡の人気パン屋「365日」のおすすめメニュー!店舗詳細や杉窪シェフが描く未来図なども
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