和歌山県 かつらぎ町
高野山へ続く町石道と串柿の軒先をたどる、和歌山県かつらぎ町の旅
高野山参詣の表参道が通る和歌山県かつらぎ町を歩きます。丹生都比売神社の丹塗りの楼門と四棟の本殿、天野の里の西行堂や横笛の恋塚、宝来山神社に伝わる中世の荘園絵図、晩秋の軒先を飾る四郷の串柿までをたどる読み物です。
公開 出典 25件

和歌山県かつらぎ町という名は、大阪府との境にある葛城山に由来します。北に和泉山脈、南に紀伊山地が控える町で、どこを歩いても視線の先に山の輪郭があります。名前のもとになった山がどちらにあるのかを意識しながら歩くと、谷筋や峠へ向かう道の向きが少しずつつかめてきます。
この町には、高野山参詣の表参道である高野山町石道が通っています。丹生都比売神社の公式説明では、同社は金剛峯寺と慈尊院の中間地点にあり、境内の入口に二つ鳥居があって、まずこの社に参拝してから高野山へ登ることが慣習とされていました。町石道のうち、かつらぎ町域には56基の町石が残っています。
56基の町石が残る高野山への表参道
町石道のかつらぎ町区間に立つ二ツ鳥居は、丹生都比売神社の祭神である丹生明神と高野明神を遥拝するための石造の鳥居です。111町石のあたりには、高野山へ向かう旅人に湯茶の接待をした地蔵堂が往時のたたずまいをとどめていて、この道が人の行き来とともにあったことが伝わってきます。
町石はもともと木製の塔婆でした。腐りやすかったため、鎌倉時代に僧・覚斅(かくきょう)が人々の寄進を集め、大型の石造五輪卒塔婆群として建て替えます。1町(109メートル)ごとに立てる作業には20年の歳月がかかり、今も8割ほどは当時のものが残っています。足もとの石の多くが鎌倉のものだと思うと、歩く速度が自然に落ちます。
丹塗りの楼門と四棟並ぶ本殿、丹生都比売神社の室町
丹生都比売神社の楼門は明応8年(1499年)の建立で、国の重要文化財であり、世界遺産にも登録されています。入母屋造に檜皮葺きの屋根、丹塗りの柱という室町時代の造営で、参道の先に姿が見えてくると、朱の色が木立の緑のなかではっきり立ち上がります。
楼門の奥には、一間社春日造・檜皮葺の四殿が横に並びます。文明元年(1469年)に建立されたものを最初とし、室町時代に造替されたこれらの社殿も国の重要文化財で、世界遺産に登録されています。同じ形の社殿が四つ続く並びは、近づくほど屋根の反りの深さが分かります。
境内の鏡池に架かるのが輪橋です。鎌倉時代からこの場所に橋が架けられてきたといい、今ある橋は豊臣秀吉の妻である淀殿が奉納したものと伝わります。鏡池という名のとおり、橋そのものと水面に映る姿を見比べたい場所です。
社の案内が伝えるところでは、明治の神仏分離までこの社は五十六人の神主と僧侶によって守られてきたといいます。神と仏が分けられた今も、楼門の下で僧侶が般若心経を唱える姿を見かけるそうです。高野山と向き合ってきた時間が、こうした場面に続いています。
春の祭りは花盛祭です。神社の年間祭典行事の案内は、天野の里を春の花々が彩る時期に御祭神へ花を捧げ、春の訪れを寿ぐ祭りと説明しています。日程は4月の第二日曜で、午後には神輿渡御が行われます。和歌山放送のニュースは、参道の両脇に桜や桃などが竹筒に飾られ、地元の子どもらが神前神楽「浦安の舞」を奉納したと伝えました。
ホタルの夜と、西行堂・横笛の恋塚がある天野の里
この社が鎮まるのは、高野山のふもとに広がる天野の里です。1989年に環境庁の「ふるさといきものの里」に認定され、6月初旬の夜にはゲンジボタルの光が舞います。ここを訪れた随筆家の白洲正子は、天野を「天の一廓に開けた夢の園」と称えました。
里には西行堂があります。出家した西行の妻と娘がこの地に庵を結んだという言い伝えが残り、妻は西行の出家から2年後に後方の台地へ庵を建て、娘も15歳で尼となって母とともに生涯を終えたといいます。母娘は里に葬られ、小さな六地蔵が建てられたと伝わります。里の人々はその庵を西行堂として祀って再建を重ね、今の堂は昭和61年に場所を移して建てられたものだそうです。
もう一つ、横笛の恋塚が残ります。平重盛の家来だった斎藤時頼は横笛と恋に落ちたものの、父に反対されて嵯峨野の往生院で出家し、滝口入道と名を改めました。それを追った横笛も奈良の法華寺で仏門に入り、やがて高野山に近い天野の里で庵を結び、19歳の春に亡くなったと伝えられています。
天野の里は、西行堂や横笛の恋塚がある「平家物語」の里としても紹介されています。6月の夜にホタルを見に出かけるなら、明るいうちに堂や塚を訪ねておきたいところです。同じ里の草地が、昼と夜で違う顔に見えてきます。
桛田荘の絵図が結ぶ笠田の宮と京の寺
笠田中には宝来山神社があります。神社の由緒は、創建を光仁天皇の宝亀4年(773年)に和気清麻呂が八幡宮を勧請し八幡山と称したことに始まると記しています。八幡大神をはじめ四神が祭神として祀られています。
本殿は慶長19年(1614年)の建立で、一間社春日造・檜皮葺の社殿が4棟並びます。公式サイトの解説によれば、向かって右から第三殿、第一殿、第二殿、第四殿と呼ばれ、第二殿は高野山の吉徳院、ほかの三棟は土豪・是吉吉右衛門が建てたとされます。大工は折居村の新左衛門と大藪村の義次甚左衛門で、地元の工匠ながら技術水準の高さを示すものと位置づけられています。
公式サイトによれば、この本殿は重要文化財で、平成28年(2016年)10月に正遷宮が行われました。一間社春日造・檜皮葺の社殿が四棟並ぶ形は丹生都比売神社の本殿と重なり、二つの宮を続けて訪ねると、同じ形式の社殿がこの町に二組あることが実感できます。
神社のあたりには、かつて桛田荘(かせだのしょう)という荘園がありました。1183年(寿永2年)に後白河法皇が文覚上人の働きかけに応じ、京都の神護寺へ寄進した荘園で、今のかつらぎ町笠田地区にあたります。
その荘園の姿を伝えるのが、宝来山神社に伝わる紀伊国桛田荘絵図です。延徳3年(1491年)の紙本淡彩で、八幡宮や堂、万葉集で名高い妹山と背山、紀の川の中洲にある船岡山、川の北側に広がる水田と農民の集落を表す家々が描かれています。同じ絵図が京都の神護寺にも残り、いずれも重要文化財に指定されています。
笠田東の妙楽寺(みょうらくじ)境内には、十五社の樟樹と呼ばれるクスノキが立っています。本幹の周囲は13.6メートルを超え、樹高は20メートル、根張りは25メートルを測ります。地上約2メートルのところで太い8本の支幹に分かれていて、県の天然記念物に指定されています。
文覚上人の荒行が伝わる東谷の岩窟滝
桛田荘の寄進に動いた文覚上人の名は、町の山あいにも残ります。東谷の文蔵の滝は、平安から鎌倉期のこの僧が荒行をした滝とされ、滝に打たれて失神しそうになった上人を不動明王の使いが天から舞い降りて引き揚げた、という話が残っています。
滝の落差は十数メートルです。周囲300度ほどを岩に囲まれた洞窟のような小空間にあり、岩場に音が反響するほの暗いなかを縫うように水が落ちます。「紀の国名水100選」や和歌山県の「親しめる水辺66選」に選ばれ、金剛生駒紀泉国定公園のなかにあって、古くから修験者の行場となってきた隠れ滝です。
6畳にも満たない閉鎖された空間に、光が真上から降り注ぐ。地元紙の連載はこの滝をそう描き、年の瀬にも滝行を待つ行者の列ができると伝えています。景色として眺めるより、修行の場に立ち会うような気配のある滝です。
軒先の串柿が玉のれんになる四郷の晩秋
文蔵の滝がある東谷は、平、滝、広口とともに四郷と呼ばれる地域の一つです。四つの村が串柿づくりを通じて一体の地域と呼ばれるようになった地名で、今も串柿の特産地として引き継がれています。
11月初旬、四郷では家族総出で柿の皮をむき、柿をすだれ状に組み立てる作業が続きます。400年前から串柿の特産地として歴史と伝統を育ててきた地区で、家々の軒先や長い柿屋(干場)に吊るされたあかね色の串柿は玉のれんのようで、晩秋の風物詩になっています。
串柿は1本の細い竹串に10個の干し柿をさしたもので、中央に6個、両端に2個ずつ挿します。この並べ方には「いつもニコニコ(2個2個)仲むつ(中6つ)まじく、共に白髪(白い粉)の生えるまで」という意味が込められています。串柿そのものは、三種の神器の一つ、剣に見立てられています。
柿の葉で包み、枝豆であんを作る台所
柿は保存の工夫も育てました。農林水産省の「うちの郷土料理」は、和歌山県の柿の葉寿司を江戸時代に生まれたといわれる料理とし、かつては秋祭りに振る舞うごちそうだったと説明しています。柿の葉のタンニンの抗菌・抗酸化作用がすしの保存性を高めていたとされ、同じ資料はかつらぎ町をたねなし柿の産地として挙げています。
干し柿にも種類があります。あんぽ柿は平核無柿(ひらたねなしがき)を独自の製法で乾燥させたもので、半熟でやわらかく、自然な甘さです。そのまま食べるほか、凍らせると口のなかでとろけてシャーベットのようになる、という食べ方も紹介されています。
柿は酢にもなります。天の恵みの果物といわれるほどビタミンCとカリウムを多く含む地元の柿を原料に、まろやかで豊潤な味と香りの柿酢に仕上げられています。もう一つ、くるみ餅は名前に反してあんがくるみではなく枝豆です。すりつぶした枝豆の上品な味と香りで、やわらかな餅をくるんだ和菓子です。
柿以外の果物もあります。佐野のむらた農園では、ハウスで育てたいちごの「まりひめ」と「章姫」の狩り取り体験ができます。ハウス栽培なので雨の日でも摘めるのが心強いところで、摘み取り体験は2021年から始まったものだと紹介されています。
町の特産フルーツは、キャラクターにもなりました。イメージキャラクターの「かきおうじ」は、2008年に町の若手職員の企画で特産のフルーツをモチーフに生まれた5体の一人です。全国町村会の紹介では、正義感が強く優しいフルーツ王国の王子様という設定とされ、フィアンセは同じ王国の「ももひめ」。ほかに「いちご娘」「なしじい」「ぶどう兵団」がいます。
軒先にすだれのように吊られた串柿が玉のれんに見える晩秋も、柿の葉に包んだすしが秋祭りのごちそうだった頃も、この町の時間は柿のそばで流れてきました。10個の柿を刺した串が「いつもニコニコ仲むつまじく」と読み替えられるように、ここでは暮らしの願いがそのまま形になって軒先に下がります。次に来るときは、その軒の下で足を止めて、玉のれんの向こうの谷を眺めてみたいと思います。
かつらぎ町クイズ
全3問Q1
高野山町石道の町石は、石造になる前は何で作られていた?
残念、不正解 正解は ア「木の卒塔婆」
文化庁の日本遺産ポータルによると、木製の塔婆は腐りやすかったため、鎌倉時代に僧・覚斅が人々の寄進を集めて大型の石造五輪卒塔婆群を建立したとされます。今も8割ほどはその当時のもの。九度山町の観光情報では建立に20年の歳月を要したと紹介されています。目の前の町石が800年近く前の一基かもしれません。
Q2
丹生都比売神社の鏡池に架かる輪橋(そり橋)は、誰が奉納したものと伝わる?
残念、不正解 正解は ア「豊臣秀吉の妻・淀殿」
神社の公式説明では、現在の橋は豊臣秀吉の妻・淀殿が奉納したものと伝わるとされています。この場所には鎌倉時代から橋が架けられていたとのこと。鏡池の水面に反り橋の弧が映り込む位置を探して、正面から眺めてみてください。
Q3
かつらぎ町の和菓子「くるみ餅」の餡は、何をすりつぶして作る?
残念、不正解 正解は ア「枝豆」
かつらぎ観光協会の特産品紹介によると、くるみ餅の餡はくるみではなく枝豆をすりつぶしたもので、枝豆ならではの上品な味と香りをいかして、やわらかな餅を包んでいます。お土産やお茶うけの定番です。名前から想像する味と違うかどうか、一つ食べて確かめてみてください。
出典
この記事は次の資料にもとづいて書いています。
- 1.かつらぎ町(かつらぎちよう)とは?|コトバンク(コトバンク)
- 2.世界文化遺産について | 丹生都比売神社(丹生都比売神社)
- 3.世界遺産 | かつらぎ町公式サイト(かつらぎ町)
- 4.町石道|日本遺産ポータルサイト(文化庁)
- 5.高野参詣道 町石道|九度山町観光情報(九度山町観光協会)
- 6.丹生都比売神社境内 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- 7.境内のご案内 | 丹生都比売神社(丹生都比売神社)
- 8.年間祭典行事|丹生都比売神社(丹生都比売神社)
- 9.春訪れ祝い「花盛祭」、丹生都比売神社/和歌山・かつらぎ町|WBS和歌山放送ニュース(和歌山放送)
- 10.天野の里|かつらぎ町(かつらぎ町)
- 11.天野の里 西行堂(ぐるりんかんさい)
- 12.横笛の恋塚(ぐるりんかんさい)
- 13.宝来山神社 ご由緒(宝来山神社)
- 14.本殿 | 宝来山神社(宝来山神社)
- 15.紀伊国桛田荘絵図(きいのくにかせだのしょうえず) | 宝来山神社(宝来山神社)
- 16.十五社の樟樹|わかやまの文化財(和歌山県)
- 17.滝物語⑯ 文覚上人ゆかりの岩窟〜文蔵の滝(かつらぎ町)(ニュース和歌山)
- 18.かつらぎ町東谷地区・滝行の場にもなっている隠れた名瀑「文蔵の滝」(和歌山県道の駅サイト)
- 19.串柿の里|かつらぎ町(かつらぎ町)
- 20.幸せを呼ぶお正月の伝統(串柿の里かつらぎ町四郷):近畿農政局(農林水産省近畿農政局)
- 21.柿の葉寿司 和歌山県|うちの郷土料理:農林水産省
- 22.特産品|かつらぎ観光協会
- 23.特産品(あんぽ柿)|かつらぎ観光協会(かつらぎ観光協会)
- 24.むらた農園|かつらぎ観光協会
- 25.かつらぎ町イメージキャラクター かきおうじ|ご当地キャラじまん・全国町村会(全国町村会)
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