大阪府 大阪市
大阪市を歩く、城下の巨石と水路、商いを語る建築と食文化の記憶
市民の寄付でよみがえった大阪城から、中之島・北浜の建築、御堂筋と道頓堀、新世界の塔と味、難読地名まで。大川沿いの祭りや住吉大社の反橋も織り込み、大阪市に重なる水路、商い、食文化の記憶をたどります。
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大阪市には、人々が資金や力を寄せて形にした場所が点在します。現在の大阪城天守閣は市民の寄付約150万円をもとに再建され、大阪市中央公会堂は岩本栄之助の寄付100万円、中之島図書館は住友吉左衛門友純の寄贈によって生まれました。
地上の建物だけでなく、水の扱い方にも町の歩みが残ります。1612年に開削が始まった道頓堀、城下町の背割りに設けられた太閤下水、1831年の浚渫土砂からできた天保山。大阪市を歩く旅では、堀、下水路、川港の跡が一つの流れになります。
大阪城で見上げ、足元の城下町を考える
現在の大阪城天守閣は、1931年に竣功した3代目です。1928年に大阪市長の関一が復興を提案すると、市民の寄付は半年で目標額150万円に到達しました。当時最新の鉄骨鉄筋コンクリート造を採用した、市民の意思を映す天守閣です。
城の正面を固める大手門は1628年の創建です。同じころに造られた多聞櫓は落雷で焼失しましたが、1848年に再建された建物が現存しています。大手門と多聞櫓はいずれも国の重要文化財で、天守閣とは異なる時代の姿を伝えます。
桜門枡形では、城内第1位の巨石「蛸石」が待っています。表面積はおよそ36畳敷(59.43平方メートル)、重量は約108トンと推定される石です。1624年に始まった再築工事で据えられ、備前産の花崗岩が使われています。
城下町の痕跡は地下にも続きます。道路の裏側、区画の背割りに掘られた下水路は「背割下水」「太閤下水」と呼ばれました。現在も使われているもののうち約7kmが、2005年に大阪市指定文化財となっています。
中之島と北浜、寄付と商いが残した輪郭
中之島では、1903年建設の日本銀行大阪支店旧館と、1904年開館の大阪府立中之島図書館をたどれます。旧館はベルギー国立銀行などをモデルに辰野金吾らが設計した石造りの洋風建築。図書館は住友家15代当主の寄贈による建物です。
赤レンガと青銅屋根の大阪市中央公会堂は、北浜の株式仲買人だった岩本栄之助の寄付100万円をもとに建設され、1918年11月に完成しました。工事半ばに40歳で生涯を閉じた寄付者の志が、公共建築として形を残しています。
北浜のオフィス街には、緒方洪庵が1838年に開いた適塾が現存します。大阪大学適塾記念センターの沿革によれば、洪庵が江戸へ赴いた後も養子の拙斎が住み、明治19年(1886)頃まで塾生の教育や医業が行われていたとみられています。
大阪株式取引所は1878年、五代友厚らの発起で設立されました。これに先立つ堂島では、1730年に現物取引と先物取引が江戸幕府から公認されています。大阪市は堂島米市場を「世界における組織的な先物取引所の先駆け」と説明しています。
御堂筋を南へ、建築から道頓堀の看板へ
大阪の地下鉄は1933年5月、第1号線の梅田―心斎橋間3.1kmで開業し、2018年4月1日に民営化されてOsaka Metroとなりました。阪急梅田駅では1967年ごろ、エスカレーターの右側に立つよう促す放送が始まり、右立ち定着のきっかけになったとされます。
御堂筋のいちょう並木は全長約4.2kmで、2014年9月時点には972本が植えられていました。2000年には大阪市指定文化財となっています。沿道の大阪ガスビル南館は安井武雄の設計で1933年に竣工し、8階の食堂は今も営業を続けています。
難波で目を引く南海ビルディングは1932年7月9日に竣工し、同月15日に高島屋南海店が全館開業しました。南海難波駅に直結する建物で、地下2階、地上7階、間口約170m。国の登録有形文化財にもなっています。
道頓堀は、商人の安井道頓が1612年に私財を投じて開削に着手した水路です。道頓は大坂の陣で戦死しましたが、工事は1615年に完成しました。当初の名は南堀川。道頓の功績をたたえ、松平忠明が道頓堀と命名しました。
江崎グリコの公式説明では、道頓堀のサインに描かれたランナーは、創業者の江崎利一が子どものかけっこのゴール姿を見て「すこやかさ」の象徴として着想したものです。現在のサインは、2014年10月に設置された6代目に当たります。
もう一人の道頓堀の顔、くいだおれ太郎は1950年に食堂「大阪名物くいだおれ」の看板人形として誕生しました。中座くいだおれビルの案内では、太鼓を叩く姿と赤白のしましま衣装、ピエロ帽、黒縁の丸いロイド眼鏡が目印とされています。
難波の豚まんは、551蓬莱の商品案内によると、ダイス状に切った豚肉と玉ねぎをほんのり甘い生地で包み、当日生産・当日販売で一つずつ手包みされています。焼きたてチーズケーキは、店の案内で焼きたて、常温、冷やしたもの、温め直したものという4通りの食べ方が示されています。
通天閣の二代と、新世界の鉄鍋・共有ソース
初代通天閣は1912年に建設された高さ約75mの塔で、1943年の火災を受けて解体されました。大阪観光局の紹介では、1956年に再建された二代目は避雷針を含めて高さ108m。地元住人の運動によって再建されたとされています。
ビリケンさんの公式サイトが伝えるところでは、像のもとになったのはアメリカの女性芸術家フローレンス・プリッツが1908年に創作したものです。1912年、新世界の遊園地ルナパークに初代像が展示され、1979年には通天閣に二代目像が置かれました。
新世界名物のどて焼きは、鉄鍋の縁に味噌を土手のように盛り、中央の牛すじ肉を溶け出した味噌で煮込む料理です。串かつだるまでは、共有ソースに二口目を漬けず、追加したいときはキャベツですくって串かつにかけるのが作法と説明されています。
うどんの呼び名から舟形のバッテーラまで
美々卯のうどんすきは、創業者の薩摩平太郎と妻キクが試作を重ね、昭和3年に完成させた鍋料理です。車エビ、ハマグリ、アナゴなどの具材を人数分ずつ揃え、めじかと利尻昆布から取っただしを使うことが特徴とされています。
大阪では、油揚げをのせたうどんだけを「きつね」、油揚げをのせたそばを「たぬき」と呼びます。2018年9月の訪問記では、うさみ亭マツバヤのきつねうどんは大阪にしてはやや濃いめの汁に甘辛い揚げを合わせたものとされ、「おじやうどん」もよく出るという店の人の話が紹介されています。
バッテラは、鯖を使うようになってから押しやすい箱形が現在の姿になったとされています。一方、南森町の寿司常では、公式サイトに四代目が型を舟形へ戻した経緯が記され、呼び名も「バッテーラ」として出されています。
「粟おこし」という名から粟だけを思い浮かべると、材料との違いに驚きます。あみだ池大黒についての事業者紹介では、良質の米をあえて細かく砕き、粟状にして作ったものが大阪名物の粟おこしとして知られるようになったと説明されています。
大阪で定番とされる関西風お好み焼きは、生地と具材を混ぜ合わせてから焼く「混ぜ焼き」です。薄いクレープ状の生地を先に焼き、上へ具材をのせる広島風の「重ね焼き」とは、鉄板に置く前から作り方が分かれています。
大川の桜と船渡御、川辺から広がる難読地名
造幣局の「桜の通り抜け」は1883年、遠藤謹助造幣局長の提案で構内の桜を一般開放したことに始まります。桜の開花期に限り、旧淀川沿いにある全長約560mの構内通路を通り抜けられる行事です。
大阪観光局は天神橋筋商店街を、全長約2.6kmに約800店舗が続く商店街として紹介しています。近くの大阪天満宮の社伝では、天神祭の船渡御は951年、神鉾を大川へ流し、漂着した岸を御旅所として神霊を渡らせたことに始まるとされています。
川港の仕事が地形そのものを作った例が天保山です。1831年、安治川とその港口を浚渫した土砂を積み上げてできた人工の山で、工事には市民の寄付と数千人の労働力が投入されました。当初は船の目印となる「目印山」と呼ばれていました。
淀川区の公式ページには、「十三(じゅうそう)」の由来として古代の条里制で13番目の区画だった説と、淀川上流から13番目の渡し場だった説が載っています。御幣島(みてじま)には、神功皇后が御幣を調えて国の安泰を祈ったことが地名の語源になったという伝承があります。
鶴見区が示す「放出(はなてん)」の由来には、古代の河口にある放出口だったという説と、草薙剣を盗み出した僧が神の怒りを恐れて剣を放り出したという伝説があります。柴島(くにじま)にも、小祠が柴に乗って漂着したという柴島神社の言い伝えが残ります。
立売堀(いたちぼり)は、西区の説明によると、大坂の陣で伊達家が掘った「伊達堀」が「いたちぼり」へ訛り、後に沿岸で材木の立ち売りが許されたため「立売堀」の字へ改められたと伝わります。漢字が変わっても、読みは従来のまま残りました。
国立国会図書館のデータベースが紹介する『大阪の町名』には、杭全(くまた)の名を『古事記』の杙俣長日子王にまつわる故事へ結び付ける説が記録されています。地下鉄駅名でもある喜連瓜破は「きれうりわり」と読みます。
四天王寺の由緒では、推古天皇元年(593年)、聖徳太子が物部守屋との合戦での勝利を機に建立したとされています。主要伽藍は1934年の室戸台風と1945年の大阪大空襲による被害を経て、1963年に再建されました。
旅の終わりには、住吉大社の反橋が別の一歩を示します。住吉大社の公式案内によれば、長さ約20m、高さ約3.6m、最大傾斜約48度の橋を渡るだけで「おはらい」になるとされています。城の石や地下の水路から始めた歩みを、橋を渡る行為で結べます。
大阪市クイズ
全3問Q1
大阪城の巨石「蛸石」の表面積は、畳に例えるとおよそ何畳分?
残念、不正解 正解は イ「およそ36畳」
蛸石は表面積がおよそ36畳敷(59.43平方メートル)、重量は約108トンと推定される一枚岩です。徳川幕府による大坂城再築工事の第2期工事が始まった寛永元年(1624)、備前岡山藩主・池田忠雄の担当によって築かれ、石材は備前(岡山県)産の花崗岩。桜門をくぐった正面で、畳36枚分の大きさを目で測ってみてください。
Q2
道頓堀のグリコサインのランナー。創業者が思いついたきっかけは?
残念、不正解 正解は ア「子どもがかけっこでゴールインする姿」
江崎グリコの公式説明では、創業者の江崎利一が、子どもがかけっこをしてゴールインする姿を目にし、これこそ創業の精神を表す「すこやかさ」の象徴だとひらめいたことから、あのゴールインマークが生まれたとされます。道頓堀の看板の前で、同じポーズの写真を撮ってみて。
Q3
通天閣の名物「ビリケンさん」はもともとどこで生まれた像?
残念、不正解 正解は ア「アメリカ」
公式サイトの説明では、ビリケンは1908年(明治41年)にフローレンス・プリッツがアメリカで創作した像で、名前は当時のアメリカ大統領ウィリアム・ハワード・タフトの愛称「ビリー」に接尾語を加えたのが由来とされます。1912年に新世界の遊園地「ルナパーク」へ初代像が展示され、通天閣の像は1979年設置の二代目。足の裏をなでに行ってみてください。
出典
この記事は次の資料にもとづいて書いています。
- 1.大阪城天守閣90年の歴史|大阪城天守閣復興90周年 1931-2021
- 2.コラム7 中央公会堂|大阪市
- 3.建物紹介|大阪府立中之島図書館
- 4.道頓堀|大阪市
- 5.太閤(背割)下水見学施設|大阪市
- 6.1.天保山(てんぽうざん)跡|大阪市
- 7.指定文化財コース|特別史跡 大阪城公園
- 8.蛸石|大阪城のガイド|攻城団
- 9.旧館外観|日本銀行大阪支店
- 10.概要|大阪大学 適塾記念センター
- 11.沿革|大阪大学 適塾記念センター
- 12.五代友厚像と大阪取引所|大阪市
- 13.五代友厚|大阪商工会議所
- 14.18.堂島米市場(どうじまこめいちば)跡碑|大阪市
- 15.日本における市場取引の歴史① 起源は江戸時代の先物取引|キャリタスファイナンス
- 16.Osaka Metroのあらまし|一般社団法人 日本地下鉄協会
- 17.エスカレーター、大阪の「右立ち」始まりは1967年ごろの阪急電鉄のアナウンス
- 18.いちょう並木|一般社団法人 御堂筋まちづくりネットワーク
- 19.生きた建築ミュージアム・大阪セレクション 大阪ガスビル|大阪市
- 20.温故知新 大大阪時代を歩く 第5回 難波・南海ビルヂング/大阪髙島屋|大阪青年会議所
- 21.道頓堀グリコサイン|江崎グリコ
- 22.中座くいだおれビルの人気者
- 23.豚まん[肉まん]|商品案内|551HORAI 蓬莱
- 24.おいしい召し上がり方|りくろーおじさんの店
- 25.通天閣 観光ガイド|展望台・ビリケン・スライダーの魅力|OSAKA-INFO
- 26.ABOUT BILLIKEN|幸運の神様ビリケンさん公式サイト
- 27.どて焼き 大阪府|うちの郷土料理:農林水産省
- 28.だるまの歴史|大阪新世界元祖串かつ だるま
- 29.美々卯について|美々卯
- 30.大阪にあった!「うどんすき」発祥の老舗『美々卯』で一度は食べたい理想的な鍋料理のカタチ
- 31.きつねうどん発祥の店 うさみ亭マツバヤ / 大阪 中央区 明治26年創業
- 32.きつねそば・たぬきうどん、なぜ大阪にはない?
- 33.大阪南森町バッテラ発祥の店/寿司常
- 34.大阪産(もん)名品の会|株式会社あみだ池大黒 事業者の歴史
- 35.大阪府vs.広島県どちらが本家? お好み焼き文化のルーツを名店とともに探る!
- 36.「桜の通り抜け」~その歴史と桜守の奮闘|造幣局
- 37.桜の通り抜けのデータ|造幣局
- 38.日本一長い天神橋筋商店街の観光ガイド|グルメ・アクセス情報|OSAKA-INFO
- 39.天神祭(大阪天満宮)|全国観光資源台帳
- 40.区の町名の由来|大阪市淀川区
- 41.西淀川区にまつわる伝記・伝説 - 御幣島
- 42.大阪市鶴見区:区名、地名の由来
- 43.難読地名、柴島
- 44.大阪市西区:西区のあらまし
- 45.「杭全(くまた)」という地名の由来はなにか。
- 46.なんて読む? 日本の珍地名「喜連瓜破」
- 47.四天王寺の歴史|和宗総本山 四天王寺
- 48.住吉っさんの歩き方|境内をめぐる|住吉大社
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