岡山県 岡山市
鬼の名が残る岡山市——吉備津の回廊から烏城、黒いソースの食卓まで
桃太郎伝説の原型とされる吉備津彦命と温羅の物語から、矢置岩と398メートルの回廊、黒い天守と1945年の空襲、池田綱政の後楽園と津田永忠の百間川、ままかりやデミカツ丼まで。岡山市の由緒をたどる読み物です。
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JR岡山駅の前に立つと、桃太郎の像が行き交う人を見守っています。初代の像がここに置かれたのは1960年。いま見られるのは1972年の山陽新幹線岡山開業に合わせて作られた2代目で、岡山市出身の彫刻家・岡本錦朋の作品です。2024年6月には路面電車の乗り入れ工事のため、電停の南側へ移されました。
なぜ桃太郎なのかは、歩くうちに見えてきます。岡山市の公式説明では、吉備津彦命が温羅(うら)という鬼を退治した伝説が昔話「桃太郎」の原型とされています。この物語でつないだ「桃太郎伝説の生まれたまちおかやま」は2018年5月24日に日本遺産へ認定され、岡山市・倉敷市・総社市・赤磐市の4市にまたがる27の文化財で構成されています。
矢置岩と398メートルの回廊が残る吉備津
伝説の手触りを探すなら、まずは吉備津神社です。岡山観光WEBの案内では、境内の矢置岩は鬼の矢を置いたと伝わる石で、この社は桃太郎伝説の原型とされる吉備津彦命と温羅の伝説が残る場所だと紹介されています。鬼の持ち物として語られる石が、境内にそのまま置かれているわけです。
社殿そのものも目を引きます。吉備津神社の公式サイトは、本殿と拝殿を、入母屋の千鳥破風を前後に二つ並べ同じ高さの棟で結んだ造りと説明しており、上空から見ると棟はカタカナの「エ」の字型になるそうです。建築学上は比翼入母屋造、「吉備津造り」とも呼ばれる形です。岡山市の文化財情報は、昭和27年3月29日の国宝指定を記しています。
同じ境内の御釜殿では、釜の鳴る音で吉凶を占う鳴釜神事が続いています。言い伝えでは、吉備津彦命が捕らえた温羅の首をはねて曝しても、温羅は大声をあげ唸り響いて止むことがなかったといいます。釜の音の大小長短で吉凶禍福を判断するのがこの神事で、仕える女性は阿曽女(あぞめ)と呼ばれ、温羅が寵愛した女性と云われます。
本殿から御釜殿までは、屋根付きの回廊でつながっています。総延長は398メートル、完成は天正年間で、一間毎に氏子が寄進して建てられました。昭和51年3月27日に岡山県の指定重要文化財となっています。一間ずつ出し合って延ばした廊下だと思うと、この長さの意味が変わってきます。
同じ伝説につながる社がもう一つあります。備前国一宮の吉備津彦神社です。岡山市の観光情報と神社の公式サイトでは、夏至の日に朝日が鳥居の正面から昇ることから「朝日の宮」と呼ばれていると伝えています。年間でいちばん昼が長い時期に太陽が鳥居の真正面へ来る現象が、呼び名の由来だという説明です。
伝説の周囲には、実物の古代も残っています。造山古墳は5世紀前半に築造された全長約350メートル、高さ約30メートルの前方後円墳で、全国で第4位の規模です。墳丘には円筒埴輪や形象埴輪が立て並べられ、1921年に国の史跡に指定されました。岡山市中区の備前国庁跡も、発掘調査から方6町の府域が所在したと推定され、1959年3月27日に岡山県の史跡となっています。
烏城の黒さと、旭川が運んできたもの
城下に戻ります。岡山城を築いたのは、豊臣秀吉の家臣で豊臣五大老の一人、宇喜多秀家です。黒い下見板張りの外観から別名「烏城(うじょう)」と呼ばれ、天守は不等辺五角形の三層六階建て。発掘で秀家時代の金箔瓦が出土したことから、「金烏城」の呼び名もあります。
城の壁が黒いか白いかは、築かれた時代の流行を映します。黒い城は豊臣秀吉の時代、つまり関ヶ原の戦い以前に築かれたものが多く、白い城は徳川家康の時代以降が多い。黒色は戦国時代に敵の目から隠れやすく、鉄砲戦に有利だったからだといわれます。白い城の代表である姫路城は「白鷺城」と呼ばれ、岡山城はその反対側に立っています。
城が置かれた丘は、東を旭川が流れる天然の要害でした。ただ、川は守りだけをもたらしたのではありません。承応3年(1654年)の洪水はすさまじく、このときの洪水砂は最も厚い部分で2メートルもあることが確認されています。要害をつくった川が、同時に大水も運んできたわけです。
いま見上げる天守は再建されたものです。築城当時の天守は明治維新後も残り、昭和初期に詳細な図面が作られましたが、1945年6月29日未明の空襲で焼失しました。1966年、往時の姿を偲ばせる天守が鉄筋コンクリートで建て直されています。
この空襲で失われたのは城だけではありません。岡山市の記録では、中心市街地の8割以上が数時間で燃え、少なくとも1700名を超える人命が失われました。『岡山市史』には1737名という数字も記載されており、原典は空襲直後の警察署による死者収容数の集計です。町の新しさの理由が、この夜にあります。
綱政の庭と、永忠が引いた放水路
城の次に足を向けたいのが後楽園です。岡山藩主の池田綱政が家臣の津田永忠に命じて1687年に着工し、1700年に一応の完成をみた庭で、水戸の偕楽園、金沢の兼六園と並ぶ日本三名園の一つに数えられます。
広い芝生の景色で知られますが、築庭当時はその4分の3が田畑で、平坦な庭だったようです。その後、池田継政をはじめ歴代藩主の改修で築山や水の流れ、園路が加えられ、いまの景観が形づくられました。完成した姿を保ってきた庭ではなく、手を入れ続けられた庭として歩くと、見え方が変わります。
園内でもっとも重要な建物は、藩主の居間として使われた延養亭です。戦災で焼失したのち、1960年に当時の間取りで復元され、庭園の景観を一望できます。城の天守と同じく、焼けたものを建て直して今に続いている建物です。
津田永忠の仕事は庭だけではありません。旭川の放水路である百間川は、1669年(寛文9年)に左岸へ越流堤が築かれ、1686年(貞亨3年)頃に本格的な改修が完成しました。熊沢蕃山が考案した「川除けの法」を永忠が献策し、現実の形にしたものです。堤は上流から一の荒手・二の荒手・三の荒手と三段構えで、名前は二の荒手の幅が約百間(180m)だったことに由来します。
山陽道を曲げた表町と、地名が新しい問屋町
表町商店街の始まりは、城づくりと同じ時期にさかのぼります。商店街の公式サイトの説明によると、慶長2年(1597年)に宇喜多秀家が岡山城天守閣を完成させると同時に、それまで岡山の北を通っていた山陽道を城下町の中へ移し、備前国内から多くの商人・職人を召し集めました。このとき山陽道沿いにできた商人町が今の表町で、上之町・紙屋町・西大寺町という町名も当時の名残です。
城下の商業の拠点だったのが京橋です。岡山観光WEBでは、1989年から始まった京橋朝市が、江戸時代に栄えた京橋の旭川沿いで毎月第1日曜日に開かれているとしています。焼き鳥やホタテ串といったおつまみ系から、カレーやラーメンなどの主食系まで岡山グルメが並ぶそうです。
地名そのものが新しい町もあります。北区の問屋町は、もともと岡山駅東口付近の本町周辺に集まっていた繊維関連の卸売業が、市街地であったことや通産省の意向もあって移った先です。1964年に協同組合岡山県卸センターが設立され、1968年に卸商業団地が完成し、それに伴って地名も「問屋町」に決まりました。いまはカフェやアパレル店、クリエイターのオフィスが並んでいます。
きびだんご、マシュマロ、白桃を見つけた人
岡山の菓子にも鬼が出てきます。廣榮堂の由緒解説が伝えるところでは、孝霊天皇の皇子・吉備津彦命による温羅退治の伝説があり、百済の王子・温羅は備中国新山、現在の総社市に居城「鬼ノ城」を構えて吉備国で暴れ回っていたと伝わります。その鬼と戦っている最中、老漁夫が命にきびだんごを献上し、命は大変喜んで食べたといいます。
もう一つの銘菓は和洋折衷です。岡山観光WEBの案内には、岡山領主・池田家の御用菓子司「加喜屋」で修業した下山治四郎が明治20年(1887年)に独立して創業し、当時珍しかったマシュマロを和菓子と融合させた創作菓子「つるの玉子」を開発したと記されています。同じ店には、清流に布をさらす様子にちなんだ「調布」やきびだんご、洋菓子も並ぶといいます。
果物も人の名から始まっています。白桃を見つけたのは大久保重五郎。慶応3年(1867)に磐梨郡可真村山の池、現在の岡山市東区瀬戸町塩納の農家に生まれ、明治32年(1899)に上海桃の実生から優秀な新品種「白水桃(白桃)」を発見しました。のちに大原農業研究所へ招かれて園芸を担当し、昭和2年(1927)には新品種「大久保桃」を作り出しています。
顕彰碑は、その生誕地に地元有志の手で建てられています。もう一つの名産、マスカット・オブ・アレキサンドリアは、JA全農おかやまによれば全国生産量の90%を岡山県が生産しています。ハウスを加温機で温める加温栽培と、自然のままの気温で育てる冷室栽培があり、種があるからこその香りで、種がなければ本来の香りのよさが損なわれると説明されています。
ママを借りてくる魚と、黒いソースの食卓
岡山の魚で名前が面白いのは、ままかりです。正式にはニシン科のサッパですが、岡山では隣家からママ(ご飯)を借りてくるほどに美味いことに由来して、こう呼ばれます。酢締めにした「ままかり寿司」は「ばらずし」とともに郷土料理百選にも選ばれており、旬は10月頃、脂がのって最もおいしくなります。
その味は駅でも手に入ります。岡山駅の「桃太郎の祭ずし」は1963年(昭和38年)の発売以来、50年以上売れ続けているロングセラーの駅弁です。郷土料理のばらずしを元にしながら、差別化のため「祭ずし」と名付けられ、ピンク色の桃形の容器に、酢飯の上にままかりの酢漬けや焼き穴子、たこ酢など12種類の具材を詰めています。
もう一つの看板は鰆です。都道府県別のサワラ水揚げ量で岡山県は全国31位、1位は日本海側の福井県ですが、岡山では刺し身で食べる習慣が根づいているため、全国からとびきり鮮度の良いサワラが集まる一大消費地になっています。その需要の強さから「鰆の値段は岡山で決まる」と言われます。
洋食の系譜もあります。えびめしの発祥は東京都渋谷区のカレー店「いんでいら」で、岡山県出身の店員がそのメニューを故郷に持ち帰ったのが始まりです。プリっとしたえびとグリンピース、玉ねぎが入った黒い炒飯で、黒さはデミグラスソースやウスターソースによるもの。カラメルソースでさらに真っ黒に仕上げる店もあり、スクランブルエッグや錦糸卵、レタスやキャベツを添えるのがお決まりです。
黒いソースはどんぶりにも乗ります。岡山県観光連盟の公式説明では、おかやまデミカツ丼はとんかつにデミグラスソースをかけたご当地丼で、老舗とんかつ店「味司 野村」の初代店主が帝国ホテルのドミグラスソースを食し、その味を地元の人たちに食べてほしいという思いから誕生したとされています。同じ説明は、今では県内で出す店が増え、岡山を代表するご当地グルメになったとしています。
宝木を奪い合う夜と、「でーれー」という声
岡山市の祭りで名高いのが西大寺会陽です。岡山市公式サイトによれば、室町時代から続く行事で、現代でも大規模に行われ作法の伝承状況が良好であることから、国の重要無形民俗文化財に指定されました。厳冬の深夜、西大寺観音院で勇壮な宝木(しんぎ)の争奪戦が行われます。
起源は西大寺観音院の説明にあります。修正会、すなわち新年の大祈祷がもとで、永正7年(1510年)忠阿上人の時に「牛玉西大寺寶印」と書かれたお札を参詣者の頭上へ投与したこと、そして参詣者が身体の自由を得るために裸となったことが始まりだとされています。現在は牛玉札を宝木に巻き付け、院主が投下しています。
夏の祭りには「うらじゃ」があります。岡山観光WEBの説明では、吉備津彦命と温羅の戦いを描いた桃太郎伝説から生まれた祭りで、吉備国の発展に貢献したとして今も大切に祀られている温羅に、岡山弁の「〜じゃ」が合わさり、岡山では親しみやすい言葉になったという由来が語られています。
言葉も土地のものです。岡山市おかやまぐらし推進室が運営する移住情報サイトの岡山弁講座によれば、「ものすごい」を意味する代表的な岡山弁は「でーれー」「ぼっけー」「もんげー」の三つで、約30年前に行われた使用頻度の調査では、でーれーが7割、ぼっけーが2割、もんげーが1割でした。
同じ講座は、地域差も教えてくれます。「見なさい」は備前で「みられー」、備中で「みねー」、美作で「みんちゃい」。「来なさい」も備前「こられー」、備中「きねー」、美作「きんちゃい」と変わります。岡山市は旧備前にあたるので、ここで耳に入るのは「みられー」の側です。前段の説明にあった、鬼の名を受け継いだ祭りの名と、通りで交わされるこの語尾が同じ土地のものだと分かってくるころ、岡山の歩き方が身についているはずです。
岡山市クイズ
全3問Q1
吉備津神社の本殿から御釜殿へ続く屋根付き回廊。その総延長は?
残念、不正解 正解は ア「約400メートル」
岡山市の文化財情報によれば、吉備津神社の回廊は総延長398メートル。完成は天正年間で、一間ごとに氏子が寄進して建てられました。昭和51年に県の指定重要文化財に。うねる地形に沿って伸びる屋根の下を、寄進した人の数を思いながら歩いてみてください。
Q2
岡山市を流れる旭川の放水路「百間川」。その名前の由来は?
残念、不正解 正解は ア「二の荒手の幅が約百間だったから」
岡山県の説明によれば、この放水路が「百間川」と呼ばれているのは、二の荒手の幅が約百間(180m)であることに由来しているとされます。1669年(寛文9年)に旭川左岸へ越流堤がつくられ、熊沢蕃山が考案した「川除けの法」を津田永忠が献策して形にしました。三段構えの荒手を歩いてみてください。
Q3
岡山名物の魚「ままかり」。この名前の由来とされているのは?
残念、不正解 正解は ア「ご飯を借りに行くほどおいしいから」
農林水産省の郷土料理紹介では、正式にはニシン科の「サッパ」で、「ママ(ご飯)をカリ(借り)に行くほどおいしい」ことが名前の由来とされています。酢漬けにして酢飯にのせた「ままかりずし」は岡山の郷土料理として知られます。ご飯が本当に止まらなくなるか、一皿頼んで試してみて。
出典
この記事は次の資料にもとづいて書いています。
- 1.岡山駅前を行き交う人々を見守った「桃太郎像」が“空中”移動|OHK岡山放送
- 2.「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやまのストーリーが日本遺産に認定されました|岡山市
- 3.吉備津神社|スポット|岡山観光WEB【公式】
- 4.国宝 本殿拝殿|吉備津神社(吉備津神社)
- 5.吉備津神社本殿及び拝殿|岡山市 文化財情報(岡山市)
- 6.鳴釜神事|吉備津神社(吉備津神社)
- 7.吉備津神社回廊|岡山市 文化財情報(岡山市)
- 8.吉備津彦神社|観光スポット|OKAYAMA KANKO .net
- 9.備前國一宮 吉備津彦神社 公式サイト(吉備津彦神社)
- 10.造山古墳|岡山県ホームページ
- 11.造山古墳|スポット|岡山観光WEB【公式】
- 12.備前国庁跡|岡山市
- 13.岡山城(烏城)|スポット|岡山観光WEB【公式】(岡山県観光連盟)
- 14.岡山城の歴史|岡山城【公式】(岡山城)
- 15.日本が誇る「白い城」と「黒い城」。その違い、ご存じですか?(tenki.jp)
- 16.治水 岡山城と洪水|岡山県ホームページ(岡山県)
- 17.岡山空襲の被害はどのようにして把握されたか|岡山市(岡山市)
- 18.令和の大改修の紹介|岡山城【公式】(岡山城)
- 19.歴史・概要|岡山後楽園【公式】(岡山県(岡山後楽園))
- 20.岡山後楽園|スポット|岡山観光WEB【公式】(岡山県観光連盟)
- 21.治水 百間川と二の荒手|岡山県ホームページ
- 22.旭川放水路「百間川」の歴史|岡山河川事務所
- 23.表町の歴史 | 表町商店街
- 24.「京橋朝市」とは?岡山市で毎月第1日曜日に開かれる人気の朝市|岡山観光WEB【公式】
- 25.生まれ変わる岡山市「問屋町」 | LIFULL HOME'S PRESS
- 26.桃太郎伝説 || 廣榮堂
- 27.つるの玉子本舗|岡山観光WEB【公式】
- 28.大久保重五郎爺顕彰碑 | 岡山市
- 29.マスカット・オブ・アレキサンドリア | JA全農おかやま
- 30.マスカット・オブ・アレキサンドリア 魅力知る特別授業 岡山 | NHK
- 31.ままかりずし 岡山県 | うちの郷土料理:農林水産省
- 32.【週末駅弁】岡山駅「桃太郎の祭ずし」 - トラベル Watch
- 33.水揚げ量は全国31位なのに「鰆の値段は岡山で決まる」 ニュースイッチ by 日刊工業新聞社
- 34.懐かしい洋食屋さんの味。岡山名物「えびめし」ってどんな料理? - macaroni
- 35.岡山の真っ黒いご当地グルメ「えびめし」って知ってる? | HugKum
- 36.おかやまデミカツ丼|グルメ|岡山観光WEB【公式】
- 37.西大寺会陽(はだか祭り) | 岡山市
- 38.会陽 | 西大寺観音院
- 39.岡山が熱く盛り上がる「うらじゃ」ってなんじゃ?|岡山観光WEB【公式】
- 40.岡山弁講座 | おかやませいかつ
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