宮城県 仙台市
仙台市の断崖の城跡から郊外の滝まで、名前の由来をたどる旅の読み物
青葉山の断崖に残る仙台城跡、三の丸跡の博物館が預かる慶長遣欧使節の資料、慶長の社殿、職人の名を残す町名、牛タンや涼拌麺の始まり、定禅寺通のケヤキ並木と郊外の滝や湯まで、仙台市を歩きながら名前の由来をたどります。
公開 出典 48件

仙台が杜の都と呼ばれる始まりは、街路樹ではなく屋敷の庭にありました。仙台市の説明では、約400年前の江戸時代に伊達政宗が家臣へ、屋敷内には飢餓に備えて栗や梅、柿などの実のなる木や竹を、隣との境には杉を植えるよう奨めたとされています。その屋敷林と寺社の林、広瀬川の河畔や青葉山の緑が一体となり、まち全体が緑に包まれていきました。
歩き出すのは駅前からにしましょう。仙台朝市商店街の沿革には、昭和20年の空襲で焼け野原になった仙台駅前に多くの露店が立ち並び、そこに生まれた通称「青空市場」が朝市の起源と伝えられていると記されています。路地売りから商店街の形へ変わり、昭和60年に通り商店街連合会が発足、平成4年に振興組合へと整えられました。
広瀬川に落ちる断崖の上で、仙台城跡の石垣を見る
青葉山の南東端は、東が広瀬川に落ちる64メートルの断崖、南が80メートルの深さの竜ノ口渓谷で固められた天然の要害です。高いところで標高131.4メートル、中世の千代城を経て1601年から仙台城が築かれました。坂を登る足の重さが、そのまま立地の説明になっています。
石垣は一度で完成したものではありません。修理に伴う発掘調査で、江戸初期の複数の地震により崩落し、その後3期にわたって拡張・再編されたことが確認されています。城跡は継続的な調査で城郭全体の価値が評価され、2003年に国史跡に指定されました。石の大きさや積み方の違いを探すと、修理の跡が見えてきます。
本丸の大広間は慶長15年(1610)に完成し、畳敷き部分で260畳、拭縁部を含めると約430畳ありました。藩主が座った上段の間と、天皇や将軍を迎えるときに使う上々段の間があり、平成13年度から21年にかけての発掘調査で礎石や雨落ち溝跡、御成門跡が見つかっています。
大手門と脇櫓は昭和6年(1931)に国宝に指定されましたが、昭和20年(1945)の仙台空襲で焼失しました。今の脇櫓は再建されたもので、本来の姿と異なることが判明しており、仙台市は2036年までに本来の姿で復元する計画を進めています。
伊達政宗騎馬像は2代目です。昭和10年(1935)に据えられた初代は、政宗公の300回忌にあたる年に宮城県青年団の依頼で、柴田町出身の彫刻家・小室達が制作しました。戦時中の金属供出で台座のレリーフとともに撤去され、戦後に胸から上の部分だけが見つかり、今の像は同じ型から鋳造されたものです。初代の胸像は仙臺緑彩館にあります。
三の丸跡の収蔵品が語る、月浦からの船出と留学生の教室
仙台城三の丸跡に建つ仙台市博物館は昭和36年(1961年)に開館し、伊達家から寄贈された資料を中心に約10万点を収蔵しています。その中心が歴史資料としての国宝「慶長遣欧使節関係資料」で、一覧には羊皮紙のローマ市民権証書1通が含まれ、支倉常長像もユネスコ記憶遺産・国宝の資料として紹介されています。
使節の一行は、現在の宮城県石巻市にある月浦を1613年10月28日に出航し、スペインとローマを目指しました。船はスペイン側の記録でサン・フアン・バウティスタ号、洗礼者聖ヨハネの意味で呼ばれ、多くの商人を含む総勢180人あまりを乗せ、日本を出て3か月後にメキシコのアカプルコに着いています。
仙台で進路が変わった留学生もいます。1904年の秋、中国から来た周樹人が東北大学の前身である仙台医学専門学校に入学し、医学を志しながら在学中に文学へ進む決意をしました。のちの魯迅です。解剖学を担当した藤野厳九郎は当時30歳で教授になったばかりで、この師弟関係が短編小説「藤野先生」の題材になりました。
経ヶ峯の霊屋から木ノ下の薬師堂へ、慶長の造営をたどる
経ヶ峯に埋葬してほしいという政宗の願いにより、寛永14年(1637)に造営されたのが瑞鳳殿です。昭和20年(1945)の仙台空襲で焼失し、昭和54年(1979)に再建され、平成13年(2001)の改修工事でより創建当時に近い形へ戻りました。
大崎八幡宮の社殿は、藩祖伊達政宗の命で仙台城の乾、北西にあたる現在地へ祀られました。公式の由緒では慶長九年より十二年にかけて造営され、昭和二十七年に国宝に指定されたとされています。入母屋造りの本殿と拝殿を相の間でつないだ石の間造りで、のちに権現造りと呼ばれるようになった形です。
仙台東照宮は、政宗の世継ぎである2代藩主伊達忠宗が1654年に創建した神社だと公式の案内は説明しています。本殿・唐門・随身門など15棟以上を5年の歳月をかけて造営したとされ、本殿・唐門・透塀・随身門と石鳥居が国の重要文化財です。石鳥居の花崗岩は忠宗夫人振姫の郷里、岡山県犬島から海路で運ばれました。
北山の輪王寺は、嘉吉元年(1441年)に伊達家九世政宗の夫人の所願により福島県梁川に創建され、仙台の現在地へ移ったのは慶長七年(1602年)だと由緒に記されています。木ノ下には、聖武天皇の詔で全国に建てられた国分寺の一つ、陸奥国分寺の跡があり、その寺域に建つ薬師堂は政宗が造営して慶長12年(1607)に竣工した国の重要文化財です。
国分町・一番町・南染師町、町名が覚えている仕事
その国分寺の名は、繁華街の名にも残っています。天平13年(741年)に全国の国ごとに国分寺が建てられ、陸奥国の国分寺は現在の仙台市若林区木ノ下にあったとされ、その周辺が「国分」と呼ばれました。城下町をつくるとき、旧跡に近いことから国分町と名付けられたと考えられ、この地域に勢力を持った国分氏との関連も指摘されています。
一番町のにぎわいにも出発点があります。寛文の頃、玉沢横丁の北西角に糠藁の倉があったため北半は糠倉丁とも呼ばれました。五百石の山家豊三郎が維新後に邸内へ数十戸を建てて山家横丁と称し、以来、国分町の裏町として芝居小屋や映画館、茶店ができ、戦後は東北一の商店街に発展しました。
若林区の町名は職種の控えのようです。石垣町は石垣職人の屋敷が置かれたことからその名がつき、若林城の築城に伴って成立しました。南石切町は石垣衆が住んだ町で、彼らは近江の国から招かれ、神社仏閣の灯籠や鳥居、墓石、石碑を手がけました。南染師町は染師たちの住んだ町で、瑞鳳殿の造営に伴ってこの地へ移されています。
郊外の地名も由来を抱えています。青葉区の愛子(あやし)は、『安永風土記書出』に村の横町にある子愛観音から村の名が来たと書かれており、この観音像が地名のもとだとされます。木仏坐像の後背の裏には文治三年(1187年)九月吉祥日、子愛観音の銘があると伝えられ、いまも下愛子横丁の旧補陀寺内に観音堂が残っています。
牛タンと涼拌麺、始まりを知って食べる一皿
味太助の公式の沿革によれば、創業者の佐野啓四郎は昭和10年頃、東京での修業時代にフランス人シェフから牛タンの味を教わり、牛の舌ほどうまいものはないという言葉をきっかけに自ら焼いて食べ、感動したとされています。戦後の物資不足のなかでも牛タン一筋にこだわり、仙台市中心部に牛タン焼きの専門店を開きました。
笹かまぼこの名は、形と家紋から生まれました。阿部蒲鉾店は、阿部秀雄が仙台へ上京して修業し、新伝馬町で店を開き、笹の葉に似た形と伊達家の家紋「竹に雀」にちなんで名付けたと説明しています。明治の初めにヒラメの大漁対策として笹の葉形に焼いた蒲鉾がルーツとされます。
冷やし中華は、涼拌麺という名前で売り出されました。龍亭の公式サイトは、創業者の四倉義雄が全国の業界に先駆けて涼拌麺を開発したと記しています。冷房のない店は夏に客足が落ちるという悩みから、栄養のつりあいを考えて野菜を多く使い、酸味を加えた冷たい麺に仕立てた経緯で、発祥の地を仙台とする報道もあります。
ずんだの名の由来は一つに決まっていません。宮城県の食材紹介では、甚太(じんだ)という農夫が考案して「じんだ」が「ずんだ」に変わった説、政宗が合戦中に陣太刀の柄で枝豆を潰して食べたことから名が付いた説、豆を打つことを「豆ん打」と呼んだことに由来する説が挙げられており、どれも言い伝えとして残っています。
甘いものにも事情があります。仙台駄菓子に黒砂糖が使われるのは、藩政時代に町民が白砂糖の使用を禁じられていたためだとされます。政宗が兵糧として導入した仙台糒の払い下げを原料に菓子種をつくり、「おこし」が生まれました。菓匠三全の商品案内では、萩の月は萩の咲き乱れる宮城野の空に浮かぶ名月をかたどった銘菓とされています。
たなばたさんとすずめ踊り、そして「いずい」の一語
仙台七夕まつり公式の歴史ページによれば、藩祖伊達政宗は七夕に関する和歌を8首詠んでおり、この時すでに七夕の行事を取り入れていたことがわかるとされています。地元では七夕まつりを「たなばたさん」と呼び、当初は旧暦7月7日に飾って8日の朝に飾り物をつけたまま川へ流していたものが、第7代伊達重村公の時代に1日繰り上がったと同じページに出ています。
すずめ踊りは、仙台城の築城祝いの宴席で泉州・堺から移り住んだ石工衆が即興で披露した踊りに始まると伝わっています。跳ねる姿が雀に似ていることから雀踊と呼ばれ、政宗公の記念祭で披露された際には、当時の新聞が家紋「竹に雀」と結びつけて紹介したという言い伝えもあります。
言葉にも範囲があります。地元紙・河北新報オンラインの特集「なじょだべ仙台弁」では、仙台弁こけしが語尾に「だっちゃ」を多用する例を挙げ、仙台弁は藩制時代の仙台藩領内で庶民が使っていた言葉が元になった方言だとしています。仙台市で話される言葉という括りとは少しずれるわけです。
仙台弁こけしの解説では、「いずい」はしっくりこない、着心地が悪い、居心地が悪いという意味だと紹介され、袖んどごたごまってでいずい、という用例が添えられています。同じ解説では、「おだづ」はふざける、調子に乗るという意味で、子供が騒ぐ場面の「おだづな!」が用例として挙げられています。
166本のケヤキと13本のチューブ、線路の先の湯けむり
西公園と勾当台公園を結ぶ定禅寺通には、4列166本のケヤキ並木が続きます。樹齢60年以上の木が並び、「日本の道100選」や「杜の都・仙台 わがまち緑の名所100選」に選ばれています。杜の都という呼び名自体は明治42年に「森の都」として記録され、昭和初期に「杜の都」と表現されるようになりました。
この並木には冬の役目もあります。SENDAI光のページェントは、葉が散ったケヤキの木がさみしい、小さな豆電球で仙台の街を照らしたいという市民ボランティアの願いから始まり、1986年に実行委員会が立ち上がって第1回が行われ、定禅寺通と青葉通のケヤキ並木が点灯されました。
同じ通りに面したせんだいメディアテークは、構造が見える建物です。13本の鉄骨独立シャフトと6枚の鉄骨フラットスラブだけで地下2階・地上7階と屋上階を構成し、各階で平面計画が異なります。チューブは設備の配管や配線、エレベーターや階段といった垂直の動線を通す管で、設計は伊東豊雄建築設計事務所です。
小説のなかの仙台も歩けます。河北新報の特集では、恩田陸の『魔術師』の舞台「S市」が隣接するベッドタウンI市を合併して政令指定都市になる設定で、二列のけやき並木やM大学などの身近な風景がちりばめられ、新興住宅地にそびえる観音菩薩が突然目の前に現れる場面が描かれていると紹介されています。
同じ特集によれば、伊坂幸太郎の『火星に住むつもりかい?』には、JR仙台駅東口の広場や物語の転換点となる広瀬川の切り立った断崖、泉区根白石の長い直線道路、仙台東部道路沿いの県道が登場すると紹介されています。川沿いに立つと、場面と風景が重なります。
移動の層も新しくなりました。仙台市地下鉄東西線は2015年12月6日に開業し、八木山動物公園から荒井までの13.9キロを結びます。採用されたリニアモーター式は、トンネル断面積が南北線の3分の2程度と小さく、建設費を抑えられる方式です。
時間の層はもっと下へ続きます。地底の森ミュージアムは、富沢遺跡から発掘された2万年前、旧石器時代の森林跡や焚き火跡を、掘り出された状態のまま現地で保存・公開する施設で、当時の環境と人の活動を再現する展示もあります。
市街を離れた秋保には、落差55メートル、幅6メートルの直瀑、秋保大滝があります。所在地は太白区秋保町馬場字大滝で、国指定名勝であり、日本の滝百選にも選ばれています。
作並温泉の旅館組合が伝えるところでは、ここは歴代仙台藩主のかくし湯と伝えられ、寛政八年(1796年)の開湯以来、湯が続いているとされています。断崖の上で見上げた石垣、町名に残る職人の名前、由来を聞いてから食べた一皿を思い返しながら湯に身を沈めると、一日のうちにいくつもの時代をまたいでいたことに気づきます。
仙台市クイズ
全3問Q1
仙台城跡に建つ伊達政宗騎馬像の「初代」はどうなった?
残念、不正解 正解は ア「戦時中の金属供出で撤去され、胸から上だけが残った」
岩沼市の文化財紹介によれば、初代の騎馬像は昭和10年(1935)に仙台城跡へ据えられましたが、戦時中の金属供出で撤去され、胸から上の部分しか残っていません。仙台観光国際協会の紹介では、今の像は戦後に同じ型から鋳造した「2代目」で、見つかった初代の胸像は仙臺緑彩館で会えるとのこと。台座の前で「これは2代目」と思って見上げてみてください。
Q2
仙台の龍亭が夏向けに売り出した、今の冷やし中華にあたる料理の名前は?
残念、不正解 正解は ア「涼拌麺」
龍亭の説明では、冷房のない店で夏場に客足が落ちる悩みから、野菜を多く使い酸味をきかせた冷たい麺「涼拌麺」を売り出したとされ、日本経済新聞も冷やし中華の発祥の地を仙台と報じています。夏の仙台で、野菜たっぷりの一杯を食べてみて。
Q3
定禅寺通のケヤキ並木は何列に植えられている?
残念、不正解 正解は ア「4列」
仙台市の説明では、西公園と勾当台公園を結ぶ定禅寺通には4列166本のケヤキ並木があり、樹齢60年以上の木が続きます。「日本の道100選」「杜の都・仙台 わがまち緑の名所100選」にも選ばれています。中央の遊歩道を歩きながら、左右に何列のケヤキが並んでいるか数えてみてください。
出典
この記事は次の資料にもとづいて書いています。
- 1.「杜の都」のいわれ|仙台市
- 2.仙台朝市商店街の歴史|仙台朝市商店街
- 3.仙台城 | 伊達政宗公|青葉城 本丸会館
- 4.指定文化財〈史跡〉仙台城跡 - 宮城県公式ウェブサイト
- 5.発掘調査で知る本丸大広間|仙台市
- 6.大手門復元整備事業について|仙台市
- 7.伊達政宗騎馬石膏像が市有形文化財に指定されました|岩沼市
- 8.伊達政宗公騎馬像について|せんだい旅日和(公益財団法人仙台観光国際協会)
- 9.小室達(こむろとおる)|柴田町
- 10.博物館の概要|仙台市博物館
- 11.指定文化財〈国宝〉慶長遣欧使節関係資料 - 宮城県公式ウェブサイト
- 12.主な収蔵品 11 支倉常長に関する資料(1)|仙台市博物館
- 13.主な収蔵品 12 支倉常長に関する資料(2)|仙台市博物館
- 14.魯迅の仙台留学|魯迅と東北大学-歴史のなかの留学生|東北大学史料館 魯迅記念展示室
- 15.瑞鳳殿 桃山文化のきらびやかな意匠をほどこした政宗公の墓所
- 16.国宝 大崎八幡宮:由来
- 17.大崎八幡宮|日本遺産ポータルサイト - 文化庁
- 18.仙台東照宮について|仙台東照宮
- 19.境内案内|仙台東照宮
- 20.東照宮 本殿 - 文化遺産オンライン
- 21.東照宮 鳥居 - 文化遺産オンライン
- 22.曹洞宗金剛宝山 輪王寺
- 23.指定文化財〈史跡〉陸奥国分寺跡 - 宮城県公式ウェブサイト
- 24.陸奥国分寺薬師堂|日本遺産ポータルサイト - 文化庁
- 25.「国分町」の読み方や由来とは?|宮城の地域伝統文化ラボ
- 26.道路の通称として活用する歴史的町名の由来(《東一番丁》通り)|仙台市
- 27.町名に見る城下町|仙台市
- 28.現在仙台市青葉区にある「愛子(あやし)」という地名の由来を知りたい。|レファレンス協同データベース(国立国会図書館)
- 29.味太助の歴史|仙台牛タン発祥の店 味太助
- 30.歴史|阿部蒲鉾店 公式サイト
- 31.ABOUT|龍亭 仙台・冷やし中華発祥の店
- 32.冷やし中華、発祥の地は仙台 野菜ふんだんに食欲増進 とうほく「涼食」めぐり - 日本経済新聞
- 33.宮城土産の定番「ずんだ餅」と伊達政宗公の関係とは⁉ 名前の由来や歴史|食材王国・宮城県
- 34.石橋屋|ニッポン旅マガジン
- 35.萩の月|歴史と味の菓匠三全
- 36.歴史|仙台七夕まつり
- 37.仙台すずめ踊り|仙台・青葉まつり
- 38.「だから」は同意だっちゃ 【特集】なじょだべ仙台弁|河北新報オンライン
- 39.いずい・いづい(宮城の方言・仙台弁)の意味や使い方|仙台弁こけし
- 40.仙台弁ミニ辞典|意味・使い方がすぐわかる宮城の方言
- 41.定禅寺通のケヤキ並木|仙台市
- 42.SENDAI光のページェントの歴史を知ろう ~2020年までの35年間の歩み~
- 43.建築の特徴|せんだいメディアテーク
- 44.現実と架空が混ざり合う世界に浸る【特集】小説の仙台を巡る|河北新報オンライン
- 45.東西線(仙台市交通局)|リニアメトロ|日本地下鉄協会
- 46.地底の森ミュージアム|公益財団法人仙台市市民文化事業団
- 47.秋保大滝|東北の観光スポットを探す|旅東北
- 48.仙台作並温泉旅館組合 公式サイト
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