神奈川県 横浜市
横浜市の三塔と氷川丸、中華街と野毛まで ― 開港の記憶を歩く旅
船員がトランプに見立てた関内の三つの塔、三度の触雷をくぐった氷川丸、関羽の木像から始まった関帝廟、崎陽軒のひょうちゃん、戦後の闇市から変わった野毛。横浜市の港町の記憶を建物と味と町名からたどります。
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横浜を歩くなら、6月2日という日付を頭の片隅に置いておくと、街の見え方が少し変わります。横浜市の広報では、開港記念日は横浜港の開港1周年にあたる1860年6月2日に、山車や手踊りで街中をあげて祝ったことが始まりとされています。この日を中心に開かれる横浜開港祭は1995年から続き、毎年約75万人が訪れる催しに育ちました。
最初の一歩は日本大通りから踏み出したいところです。日本大通りの公式サイトが伝えるところでは、明治4年にイギリス公使パークスの要請を受けたお雇い外国人技師ブラントンが設計を担い、明治10年までに完成しました。東の外国人居留地と西の日本人街を隔てる基幹街路で、日本で最初の西洋式街路とされています。
大火のあとに生まれた道と、関内に立つ三つの塔
この通りが広いのには理由があります。1866年の大火のあとの幕府の復興計画は、火災の拡大を防ぐため建物が密集した街のつくりを避けることを基本方針とし、防火帯を兼ねた広々とした道路と公園の整備が計画の要になりました。幅は完成当初36メートル、関東大震災後の復興で22メートルに削られ、2002年の再整備で歩道と植樹帯を合わせた部分が約13.5メートルに拡張されています。
関内には、キング、クイーン、ジャックと呼ばれる三つの塔があります。神奈川県観光協会の観光案内によれば、横浜三塔は神奈川県庁本庁舎がキング、横浜税関本関庁舎がクイーン、横浜市開港記念会館がジャックで、この愛称は昭和初期に外国船員がトランプのカードに見立てて呼んだことが由来と言われています。
神奈川県立歴史博物館の展覧会解説によると、神奈川県庁本庁舎は1928年10月に竣工した四代目の県庁舎で、アール・デコ様式を基調としたタイル張りの壁面に独自の幾何学模様の装飾が施されています。正面に立ち上がるキングの塔は、和風の塔や屋根を持つ帝冠様式建築の先駆的な事例とも言われています。
クイーンの塔は1934年竣工の横浜税関本関庁舎で、イスラム寺院風のドームがエキゾチックな雰囲気をつくっています。ジャックの塔を持つ横浜市開港記念会館は1917年、大正6年の建物です。開港50周年を記念し、市民の寄付等によって公会堂をメインとする大小62室・1,200人収容の市民集会施設として、工事費36万9千円で建てられました。東南隅の時計塔がジャックと呼ばれています。
鉄の桟橋と318万個のレンガが受け止めたもの
港に突き出した大さん橋は、荷と人の出入りを受け止めてきた場所です。1892年にイギリス波止場の延長線上で鉄桟橋の架設工事が着工され、1894年に長さ約457メートルの鉄桟橋として竣工しました。1923年の関東大震災で被災して1925年に復旧し、2002年に現在の国際客船ターミナルが完成しています。
その屋上には、くじらのせなかという愛称があります。市民に親しみを持ってもらう目的で2006年に愛称を一般公募したところ3,995件の応募が集まり、そのうち最多の26件を得たくじらのせなかが選ばれて、同年12月4日に名付けられました。3,995件のうちの26件という数字を知って立つと、呼び名の決まり方まで面白く感じられます。
赤レンガ倉庫の2号館は、1907年着工、1911年、明治44年の竣工です。設計者は大蔵省臨時建築部を率いていた妻木頼黄で、レンガはすべて国産でした。2号倉庫だけで318万個近くが使われています。壁の一枚一枚が、国内で焼かれた時代の仕事です。
倉庫のその後は、港の事情をそのまま映しています。1945年の終戦後にGHQにより接収されてアメリカ軍港湾司令部として使用され、約10年後に税関倉庫・公共上屋として再稼働しました。1989年に倉庫機能が廃止され、2002年4月12日に文化・商業施設として生まれ変わっています。
三度の触雷をくぐって山下公園の前にいる船
山下公園の前には氷川丸が係留されています。1930年に竣工したこの船には、1932年6月2日にチャーリー・チャップリンが乗船した記録が残っています。ほかに1937年の秩父宮雍仁親王・勢津子妃、1938年の嘉納治五郎の乗船も記録されています。
船の経歴には戦争の時間も刻まれています。1941年11月から1945年まで海軍特設病院船に改装され、3年半で戦傷病兵3万人を輸送しました。この間に3度触雷しながら、沈没を免れています。甲板を歩くとき、その3度が同じ船体の下にあったことを思い出すと、足もとの鉄の見え方が変わります。
1960年に引退した氷川丸は、1961年6月2日から山下公園の前に係留されました。2003年に横浜市指定有形文化財、2016年8月には国の重要文化財となっています。戦前に建造された貨客船として現存する唯一の船です。チャップリンが乗った日も、この船がここに来た日も、横浜市の広報が開港記念日とされる6月2日と同じ日付でした。
関羽の木像から始まった廟と、碼の字が示す一杯
横浜中華街の関帝廟には、始まりについての言い伝えがあります。横浜中華街の公式サイトによれば、開港して間もない1862年に一人の中国人が関羽の木像を抱いて現在の地にささやかな祠を開いたといわれ、諸説あるなかでも有力な説とされています。1871年には本格的な関帝廟が建立され、初代関帝廟が誕生しました。
今の建物は4代目です。1986年、昭和61年の元旦に原因不明の出火で焼失し、1990年、平成2年に工期2年以上、使用金箔3.5キロをかけて第4代関帝廟が完成しました。同じ場所に約150年にわたって関帝廟が鎮座していることになります。焼けてもなお同じ土地に建て直された重みが、金色の装飾に出ています。
街の食べ物にも来歴があります。江戸清の説明では、明治27年に創業者の高橋清七が横浜の外国人居留地、現在の横浜中華街に精肉店の江戸清を開きました。三代目の高橋柢祐が肉屋の知識を活かして中国の武漢から料理人を招き、国産豚肉に海老、蟹、筍、キャベツ、葱を加えた餡を生地で包む商品を完成させ、豚肉屋であることからブタまんと名付けたとされています。
もう一つ、横浜の名で語られる麺があります。横浜中華街の公式サイトの紹介では、サンマーメンは漢字で生碼麺と書き、碼は具材を意味するため、新鮮で生きの良い具材を使った麺という意味になるとしています。碼の当て字に馬を使うこともあり、食べれば馬のような活力が湧くという意味も込められていたと考えられています。
山手に移された洋館と、元町という名前の始まり
山手には、よそから移ってきた家もあります。外交官の家は1910年、明治政府の外交官・内田定槌の邸宅としてアメリカ人建築家J.M.ガーディナーの設計で東京都渋谷区南平台に建てられ、平成9年に横浜市が内田定槌の孫から寄贈を受けて山手イタリア山庭園に移築復原し、国の重要文化財に指定されました。同じ山手のベーリック・ホールは、イギリス人貿易商B.R.ベリックの邸宅として昭和5年に建てられた、J.H.モーガン設計のスパニッシュスタイルの洋館です。
港の見える丘公園には、映画にちなんだポールが立っています。2012年3月22日、『コクリコ坂から』の主人公・松崎海が毎朝掲げていた、安全な航行を祈る意味の国際信号旗U・W旗を掲揚するポールと、宮崎吾朗監督直筆のイラストとサインが添えられた記念パネルが設置されました。スタジオジブリが公式に認めた映画記念スポットとしては初めての事例です。
元町という名前にも、開港の事情が残っています。横浜元町ショッピングストリートの案内では、1860年、万延元年1月に横浜村の居住民90戸が隣接する本村に強制移転させられ、同年2月に本村を横浜元町へ地名変更したのが元町の始まりとされています。
その元町にウチキパンがあります。ウチキパンの説明では、初代の打木彦太郎が明治21年、1888年に元町で横浜ベーカリー宇千喜商店を創業しました。名物のイングランドパンは創業130年以上の伝統を受け継ぎ、ホップを使った発酵種によって長い時間をかけて手作りされています。横浜市の観光公式サイトも、最高級の小麦粉を使い、じっくり低温発酵させて焼き上げていると伝えています。
接収下の厨房と駅弁の箱から生まれた味
ナポリタンの来歴は戦後の横浜と結びついています。ホテルニューグランドの公式サイトによれば、GHQに接収されていた期間に2代目総料理長の入江茂忠が、米兵たちが茹でたスパゲッティをトマトケチャップで和えて食べている様子を見て、ホテルで提供するにふさわしい料理へと改良を重ねたとされています。同じ期間には、当時のパティシエがアイスクリームや缶詰の果物とプリンを組み合わせ、コルトンディッシュという専用の器に盛り付けるスタイルを考案したと記されています。
駅で買う味にも物語があります。崎陽軒の沿革によれば、1928年、昭和3年に横浜の南京街、現在の中華街の点心職人・呉遇孫をスカウトしたとされています。車内で食べるため冷めてもおいしいことにこだわって約1年の試行錯誤を重ね、豚肉と干帆立貝柱を混ぜ合わせたシウマイが完成しました。
崎陽軒の案内では、1954年、昭和29年に登場したシウマイ弁当はシウマイの妹分として発売され、以来多くの人に親しまれ続けているとされています。箱に入る白い磁器の醤油入れは、1955年に漫画家の横山隆一が目鼻をつけてあげようと表情を描いて生まれ、いろは48文字にちなんで48種類が作られたと説明されています。名付けたのは横山自身で、ひょうちゃんという名は元々の容器がひょうたん型だったことにも由来します。
ラーメンも横浜の名で語られます。横浜市の観光公式サイトは、醤油トンコツスープと太麺、ホウレン草などの具が特徴の横濱家系ラーメンを横浜発祥グルメに挙げています。1974年に横浜市磯子区で創業した吉村家が家系ラーメンの起点とされ、関東の醤油ラーメンと九州の豚骨ラーメンという対照的な二つのスタイルを組み合わせれば新しいラーメンが作れるという発想から、豚骨醤油のスープが生まれたとされています。
初代横浜駅の跡から、野毛と伊勢佐木町の路地へ
桜木町のあたりは、鉄道の始まりの場所でもあります。国立公文書館の資料には、明治5年、1872年9月に新橋・横浜間の鉄道が開通したと記されています。横浜市西区の紹介ページによると、初代横浜駅は今の桜木町駅の位置にあり、大正4年には塔のある2階建ての赤レンガ造りの二代目駅舎が高島町交差点付近に建ちましたが、大正12年の関東大震災で外壁を残して焼失し、8年の短命でした。
野毛という地名そのものにも説があります。横浜市中区の町名の解説では、野毛は突端の訳とする説や、ノゲは崖を意味することが多いとする説が挙げられ、万延元年に野毛町が新設されたとしています。地元を取り上げた記事では、戦後に闇市ができて鯨肉や闇焼酎が流通し始めたあたりから徐々に飲んで食べるエリアへと変わり、クジラ横丁と呼ばれる露店街ができたと紹介されています。
伊勢佐木町の名前は、3人の人物から取られています。横浜市中区の解説が伝えるところでは、道路造成の費用を寄付して中島県令から銀杯を受けた伊勢屋中村治郎兵衛、佐川儀右衛門、佐々木新五郎の3人の姓から、それぞれ伊勢、佐、木を採って命名されました。元は入江を埋めた吉田新田の沼地で、明治7年5月20日に伊勢佐木町が起立しています。
馬車道の名も、通りを行き来した人たちに由来します。横浜市観光情報サイトの馬車道商店街の紹介では、1850年代に開港した横浜において、馬車道は領事館、入国管理そして税関に関わる人々が行き来していた通りで、その名は富裕な外国人が乗っていた馬車に因んでつけられ、富裕、洗練、国際性の代名詞となったと説明されています。
最後に、海の言葉を名前にしたクラブの話です。横浜F・マリノスのクラブヒストリーによれば、マリノスがスペイン語で船乗りを意味し、七つの海を渡り世界を目ざす姿と国際的港町・横浜のイメージを重ね合わせて名付けられたとされています。1972年に創部した日産自動車サッカー部を源流とし、1992年に横浜マリノスへ改称、1999年に横浜フリューゲルスと合併して現在のクラブ名になりました。
外国船員がトランプに見立てたと言われる塔の愛称、富裕な外国人の馬車に由来するとされる通りの名、船乗りを意味するクラブの名。横浜で出会う名前は、たいてい港に出入りした人と船から来ています。歩き終えて駅へ向かうころには、建物の形よりも先に、その名前のほうを誰かに話したくなっているはずです。
横浜市クイズ
全3問Q1
横浜港大さん橋の屋上デッキに付けられた愛称は?
残念、不正解 正解は ア「くじらのせなか」
大さん橋の公式説明では、屋上は2006年12月4日に「くじらのせなか」と名付けられたとされます。市民に親しみを持ってもらおうと愛称を一般公募したところ3,995件の応募があり、最多の26件を集めたこの名が選ばれました。ゆるやかに波打つウッドデッキを歩いて、名前の実感を確かめてみてください。
Q2
崎陽軒のシウマイに付く醤油入れ「ひょうちゃん」の顔を描いたのは?
残念、不正解 正解は ア「漫画家の横山隆一」
公式説明では、白い磁器の醤油入れに漫画家の横山隆一が「目鼻をつけてあげよう」と表情を描いて生まれたとされます。「ひょうちゃん」という名前も横山自身が付けたもので、もとの容器がひょうたん型だったことにも由来するそうです。箱を開けたら、どんな顔が入っているか見比べてみてください。
Q3
伊勢佐木町という町名のもとになったものは?
残念、不正解 正解は ア「道路造成費を寄付した3人の姓」
横浜市中区の説明では、伊勢佐木町の道路造成の費用を寄付して銀杯を受けた伊勢屋中村治郎兵衛・佐川儀右衛門・佐々木新五郎の3人の姓から「伊勢」「佐」「木」を採って名づけられたとされます。繁華街を歩きながら、3つの名字を思い浮かべてみてください。
出典
この記事は次の資料にもとづいて書いています。
- 1.みんなで祝う 横浜開港月間 | ピックアップ!広報よこはま 横浜市
- 2.日本大通りの歴史 | 日本大通り(日本大通り活性化委員会)
- 3.日本大通り - 文化遺産オンライン(文化庁)
- 4.明治時代のメイン・ストリート〜日本初の西洋式街路「日本大通り」(関内エリアマネジメント)
- 5.横浜三塔|体験・観光スポット|【公式】神奈川県のお出かけ情報(神奈川県観光協会)
- 6.『キングの塔』誕生!―神奈川県庁本庁舎とかながわの近代化遺産―
- 7.横浜税関(クイーンの塔)|横浜市観光情報サイト
- 8.よくある質問(歴史・文化について) - 横浜市開港記念会館
- 9.大さん橋のあゆみ | 横浜港大さん橋国際客船ターミナル(横浜港大さん橋国際客船ターミナル)
- 10.大さん橋のあゆみ | 横浜港大さん橋国際客船ターミナル(横浜港大さん橋国際客船ターミナル)
- 11.横浜赤レンガ倉庫の歴史|横浜赤レンガ倉庫
- 12.日本郵船氷川丸|氷川丸の歴史
- 13.その11 同じ場所でずっと町を見守る「関帝廟」|横浜中華街(横浜中華街発展会協同組合)
- 14.江戸清とは | 元祖ブタまん 江戸清
- 15.サンマーメン特集2016 | 横浜中華街
- 16.サンマーメン 神奈川県 | うちの郷土料理(農林水産省)
- 17.横浜山手西洋館とは|山手西洋館公式サイト(横浜市緑の協会)
- 18.ベーリック・ホール公式サイト|山手西洋館(横浜市緑の協会)
- 19.スタジオジブリ初の記念スポットが横浜に!『コクリコ坂から』のモデル地・港の見える丘公園|シネマトゥデイ
- 20.横浜元町今昔物語 | 横浜元町ショッピングストリート
- 21.HOME│ウチキパン
- 22.横浜発祥グルメ | 横浜市観光公式サイト(公益財団法人横浜観光コンベンション・ビューロー)
- 23.ホテルニューグランド発祥|ホテルニューグランドについて
- 24.崎陽軒の歩み(崎陽軒)
- 25.シウマイ弁当 – 崎陽軒
- 26.ひょうちゃん – 崎陽軒
- 27.横浜家系ラーメンの歴史|吉村家から始まった系譜
- 28.明治5年(1872)9月|新橋・横浜間の鉄道が開通する(国立公文書館)
- 29.温故知新!西区てくてくスケッチ:第二十回 二代目横浜駅遺構(横浜市西区)
- 30.中区の町名とその歩み(な行の町名) 横浜市中区
- 31.戦後闇市から奇跡の復興!昭和と令和が混在する野毛町は昼も夜も楽しい! - ASCII
- 32.中区の町名とその歩み(あ行の町名) 横浜市中区
- 33.馬車道商店街|観光スポット|横浜市観光情報サイト
- 34.クラブヒストリー | 横浜F・マリノス 公式サイト
- 35.横浜Fマリノスとは? 意味や使い方 - コトバンク
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