広島県 広島市
広島市を歩く——原爆ドームへ伸びる軸線から、鯉城の名と肉玉そばまで
原爆ドームへ伸びる軸線、爆心地からの距離を抱えた被爆建物、今も走る651号。鯉城という別名から生まれた球団名や、肉玉そばと汁なし担担麺、縮景園の名の由来まで、広島市の歩き方をつなぎます。
公開 出典 37件

広島の街の中心には、歩いてたどれる一本の線があります。平和記念公園の慰霊碑は、平和大通りから資料館をくぐって原爆ドームへと伸びる軸線のただ中にあると解説されています。碑の正面に立つと、その向こうに1915年4月に完成した建物が見えます。地図を広げる前に、体で位置関係がわかる街です。
線から一歩外れると、街はごく普通の顔をしています。原爆投下時に被爆して生き延びた電車が651号・652号として今も市内を走り、中区のお好み村では1棟のビルの複数のフロアにお好み焼きの店が集まっています。祈る場所と日常の食卓が同じ地図に並ぶところが、この街を歩く楽しさです。
平和大通りから原爆ドームへ、一本の軸線をたどる
慰霊碑の背後には水盤が置かれ、軸線上に人が立ち入らないようにする工夫だと説明されています。公園全体の設計を担当した建築家は丹下健三。碑は初代が鉄筋コンクリート造で、いま立っているのは同じ形を御影石で作った二代目だとされます。公園そのものも2007年2月6日に国の名勝に指定されました。
軸線の先にある原爆ドームは、もともと広島県物産陳列館でした。設計はチェコ人建築家ヤン・レツル。大正4年(1915年)4月5日に完成した一部鉄骨の煉瓦造3階建てで、正面中央は5階建ての階段室、その上に銅板の楕円形ドームを載せた洋式建築でした。1933年には広島県産業奨励館と改称されています。
被爆後は保存か取り壊しかで議論がありましたが、保存を求める声が高まり、1967年に第1回の保存工事が行われました。その後も1989年、2002年、2015年と工事が重ねられ、これまでに計4回。1996年12月にメキシコで開かれた世界遺産委員会で、世界遺産への登録が決まりました。
公園の中に建つ平和記念公園レストハウスは、大正屋呉服店として建てられた鉄筋コンクリート造の建物です。1944年に県燃料配給統制組合に買収され、爆心地から170mで被爆しました。屋根は大破し内部も破壊炎上して、地下室にいた1人をのぞいて全員が亡くなっています。戦後に改修され、1957年には広島市東部復興事務所が置かれました。
この一帯はかつて中島本町という街で、アニメ映画『この世界の片隅に』は被爆前の街並みを舞台の一つとして描いています。平和記念資料館の機関紙によれば、関連の資料展は主人公すずさんが経験した中島地区を中心に構成され、写真が残っていない「大津屋モスリン堂」の店構えは、監督の片渕須直氏が聴き取り調査をもとに習作を10回以上重ねて描いたとされます。
資料館東館の北側には、被爆したアオギリが立っています。もとは広島逓信局の中庭にあり、爆心地から約1.30km離れた場所で熱線と爆風を受けて枯れ木同然になりました。それが翌年の春に新芽を出し、被爆者らに生きる勇気を与えたとされます。昭和48年(1973年)5月に、いまの場所へ移植されました。
380mと1,420m、距離を抱えて残る建物
中区袋町の旧日本銀行広島支店は、昭和11年(1936年)9月にこの場所へ新築移転し、爆心地からわずか380mで被爆しました。1階と2階はよろい戸を閉じていたため内部の大破を免れ、3階は開けていたため全焼して、建物内にいた20人が亡くなりました。平成12年(2000年)7月に広島市の重要有形文化財に指定され、現在は一般公開されています。
距離の記録を背負った建物はほかにもあります。広島大学旧理学部1号館は昭和6年(1931年)に広島文理科大学の校舎として竣工し、爆心地から1,420mで被爆して外郭を残して全焼しました。それでも翌年9月から講義を本格的に再開しています。広島市は、被爆建物としての保存と、平和に関する教育研究等の拠点としての活用という二つの視点を踏まえて保存・活用を進める方針を示しています。
東区の不動院まで足を延ばすと、広島の建物の話が別の方向から届きます。金堂はもともと山口市にあった大内氏創建の香積寺仏殿で、安土桃山時代の天正年間に安国寺恵瓊が現在地へ移築したとされます。広島県の建物紹介では、この金堂が広島市内唯一の国宝になっていると記されています。
市街地の建物の多くが失われたなかで金堂が残っているのは、山麓という地理的条件によって原爆の被害を逃れたためだと説明されています。広島県の公式ページも、奇跡的に戦災を免れて現存すると伝えています。距離ではなく地形が残した建物だと言えます。
651号は今も現役、被爆電車と江波の車庫
広島電鉄は原爆投下によって、保有していた全123両のうち108両が被害を受け、従業員185人が亡くなりました。150形電車も江波付近に留置中に中破しています。市内電車が街の足だったことを思うと、この数字の重さが伝わってきます。
それでも被爆から3日後の8月9日には己斐(こい)と西天満町のあいだで折り返し運転が再開され、10月11日には己斐から広島駅までの運行が戻りました。650形は当初5両が製造され、そのうち4両が今も残っています。
原型をとどめる被爆車両は現在4両が在籍し、651号と652号は営業運行を続けています。653号は当時の塗装に復刻され、夏季限定のイベント電車として貸切で走ります。654号はヌマジ交通ミュージアムで月1回程度、車内が公開されています。
653号は1945年8月6日に江波地区付近で大きな被害を受けながら、4か月後に復旧して運行を再開しました。2006年に現役を引退するまで市内を走り、被爆70周年に合わせて2015年に1945年当時の塗装へ復元されています。江波という地区の名前が、一両の履歴にそのまま残っています。
鯉城という別名が球団名と祭りに広がるまで
広島城には鯉城という別名があります。広島城の広報紙「しろうや!広島城」第9号は、由来には諸説あり、一説には城のある付近一帯が己斐浦と呼ばれていてそこから転じたとされるが、確証はないと断っています。
同じ号は、江戸時代後期の儒学者・頼聿庵が「鯉魚城」「鯉城」という言葉を記しており、少なくともその頃には別名があったようだとしています。内堀の西側で国道54号を横断した先の中央公園には、この別名にちなんだ鯉の像「飛躍」が置かれていることも紹介されています。
己斐という地名そのものにも言い伝えがあります。航空会社の読み物では、己斐に到着した神功皇后が松山(旭山)に登って野立ちをした際、黒鯉に感動したことが地名の由来にもなったといわれ、起源は西暦190〜200年ごろにさかのぼるとされています。鯉はこの土地に古くから結びついた魚のようです。
広島東洋カープという球団名のカープは、英語で鯉を指す言葉で、広島城の別称である鯉城にちなんだものとされます。別の紹介では、広島市を流れる太田川が鯉の産地であったことと、広島城が鯉城と呼ばれていたことから広島カープとなったと説明されています。城の別名が、そのまま街のチーム名になりました。
本拠地のマツダスタジアムは、観戦の造りが変わっています。カープ公式サイトのコンコースマップによれば、1階観客席の最後部にあるコンコースは内野12m、外野8mの段差のない造りで、売店やトイレが並び、グラウンドを見ながら球場を1周(約600m)して回れるとされています。試合を中断せずに歩けるのが特徴です。
1975年に広島東洋カープがリーグ初優勝を果たし、平和大通りで優勝パレードが行われました。その盛り上がりのあと、市民が気軽に参加できる祭りを望む声が多く出され、1977年に中国新聞社が中心となって第1回のひろしまフラワーフェスティバルが開かれ、3日間で125万人が訪れました。
紙屋町、八丁堀、横川に残る水と商いの跡
紙屋町の由来を調べた個人の記録では、1591年に四国の伊予から移り住んだ伊予屋九郎左衛門が紙商を始めたことで紙屋町と名付けられたといわれるとされ、『広島市史 第2巻』を引きながら、この人物がのちに広島藩の相場会所の頭役を命じられたと記されています。
隣の八丁堀は、広島城の東側にあった外堀にちなむ地名だとされています。由来には、城内にあった長さ八丁(約900m)の中級武士の屋敷地「八丁馬場」に通じていたからという説と、堀の長さ自体が八丁だったからという説の二つがあるといいます。堀は路面電車の敷設に伴って埋め立てられました。
西区の横川は、川の流れ方が名前になりました。本川から天満川へ分岐する部分が唯一、東西の横方向に流れていて、そのそばにあったことから横川という地名になったと解説されています。駅名として毎日呼ばれている言葉が、三角州の水の向きを指しているわけです。
泉邸と比治山、庭と丘で過ごす時間
縮景園は、公式サイトの沿革によれば1620年(元和6年)から広島浅野藩初代藩主・浅野長晟が別邸の庭園として築いた大名庭園で、作庭は茶人としても知られる家老の上田宗箇でした。古くはお泉水、または泉邸と呼ばれ、縮景園という名は、儒学者の林羅山が2代藩主光晟の求めに応じて作った詩の序文「海山をその地に縮め風景をこの楼に聚む」から付いたと言われています。
1940年(昭和15年)に浅野家から広島県へ寄贈され、同年7月に名勝の指定を受けました。そのわずか5年後の1945年8月6日、園はほぼ全壊します。清風館をはじめ建物は廃墟となり巨樹名木も焼失しましたが、濯纓池や築山、跨虹橋などはひどい損傷を受けながら旧状をとどめていました。1949年(昭和24年)から始まった復旧は、約30年をかけて完成しています。
南区の比治山公園には広島市現代美術館があります。公式サイトでは、建築家・黒川紀章の設計で1989年5月3日に開館し、建物は垂直軸に沿って下から自然石、タイル、アルミへと変化する素材で構成され、過去から未来への文明の発展や時間の流れを象徴しているとされています。足元から見上げていくと、素材の切り替わる位置がわかります。
肉玉そばから汁なし担担麺へ、浴衣の季節のことば
お好み村という名は、戦後に新天地広場へ集まった屋台に由来すると公式サイトの沿革は記しています。昭和38年に2階建てのプレハブ店舗となり、平成4年には高層ビルへ生まれ変わりました。フロアマップでは2階から4階にお好み焼きの店が並びます。
広島のお好み焼きの定番は肉玉そばと呼ばれ、この「そば」は焼きそばの麺を指します。みっちゃん総本店の公式サイトでは、焼きそばの上にお好み焼きをのせたところ腹もいっぱいになると好評だったと紹介され、中国新聞の特集でも、同店が出した「そば肉玉子」が現在の定番につながったと記されています。
麺料理もこの街のもう一本の柱です。舟入の汁なし担担麺きさくは、煮干し・昆布・鶏ガラでとった出汁を少し加えたタレと、山椒の痺れる辛さが特徴とされます。テレビ新広島の取材記事によれば、店主は思い立って四川省に渡り、現地の店を数十件食べ歩いて味を研究したそうです。
広島つけ麺は、麺もスープも冷たいのが特徴です。醤油ベースのつけダレにラー油や唐辛子、酢、ごまなどを合わせた辛口でいただくのが基本で、取材記事では、麺が見えないほど野菜がたっぷり添えられ、辛さはなしから激辛までの7段階で選べると紹介されています。
総菜の棚では、がんすを探してみてください。かまぼこ由来の魚肉のフライで、以前は広島市でさえ名前を聞き返されたものが、いまは知られるようになり、学校給食にも取り入れられているとされます。土産の生もみじは、にしき堂の商品説明によれば、もちもちしっとりとした生菓子風のもみじ饅頭で、生地に広島県産の米粉や北海道産小豆などを使っているそうです。
初夏に当たれば、中区の圓隆寺のとうかさん大祭に行き当たります。公式サイトが伝えるところでは、1619年の圓隆寺建立の際に稲荷大明神が勧請され、祭りは翌年の1620年(元和六年)五月に始まったとされ、約400年続いてきました。浴衣姿の人が街に目立つようになるため、ゆかたの着始め祭りとしても親しまれています。
街で耳に入る言葉も持ち帰りたいところです。広島県の方言紹介ページは、じゃけえが標準語のだからにあたるとしていて、えっと(たくさん)、いぬる(帰る)、ねき(近く)も並びます。はぶてるはすねる、たいぎいは面倒だという意味で、だるい、しんどいに近い場面でも使われるそうです。
歩き疲れた帰り道に「たいぎい」とこぼしてみると、言葉のほうから街に馴染んでくる気がします。じゃけえも、はぶてるも、口に出すほど距離が縮まる言葉です。次に来るときには、同じ路地でもう少し長く立ち止まれるはずです。
広島市クイズ
全3問Q1
平和記念公園の慰霊碑。その背後に水盤が置かれている理由は?
残念、不正解 正解は ア「軸線上に人が立ち入らないようにするため」
慰霊碑は、平和大通りから資料館をくぐって原爆ドームへ伸びる軸線のただ中に置かれています。背後の水盤は、その軸線上に人が立ち入らないようにする工夫だと説明されています。公園全体の設計を担当したのは丹下健三。碑の正面に立って、向こうに原爆ドームが重なって見えるか確かめてみてください。
Q2
爆心地から380mで被爆した旧日本銀行広島支店。1・2階が内部の大破を免れた理由は?
残念、不正解 正解は ア「よろい戸を閉じていたから」
広島市によれば、旧日本銀行広島支店は1936年9月に中区袋町へ新築移転し、爆心地から380mで被爆しました。1階と2階はよろい戸を閉じていたため内部の大破を免れ、開けていた3階は全焼しています。2000年に市の重要有形文化財に指定され、現在は一般公開。階ごとの違いを見比べてみてください。
Q3
広島市の地名「横川」の由来とされるのは?
残念、不正解 正解は ア「近くの川が東西の横方向に流れていたから」
地元テレビ局の解説によれば、南北に流れる川が多い広島の三角州で、本川から天満川に分かれるあたりは東西の横方向に流れており、そのそばだったことから「横川」と呼ばれるようになったとされます。橋の上から川の向きを確かめてみてください。
出典
この記事は次の資料にもとづいて書いています。
- 1.arch-hiroshima 平和記念公園慰霊碑
- 2.平和記念公園 - 広島ピースツーリズム(広島市経済観光局運営)
- 3.原爆ドーム(旧広島県産業奨励館) - 文化遺産オンライン
- 4.原爆ドーム(広島県物産陳列館) - 広島ピースツーリズム(広島市経済観光局運営)
- 5.被爆電車|広島市公式ウェブサイト
- 6.【広島お好み焼き特集】その歴史は半世紀以上 老舗店が伝え続けた味
- 7.お好み村とは|元祖広島お好み焼「お好み村」ホームページ
- 8.平和記念公園レストハウス - 広島市公式ウェブサイト
- 9.機関紙「平和文化」No.204-6 資料展「この世界の(さらにいくつもの)片隅に - 広島のすずさん展」
- 10.アオギリ(被爆アオギリ) - 広島市公式ウェブサイト
- 11.旧日本銀行広島支店の沿革 - 広島市公式ウェブサイト
- 12.広島大学旧理学部1号館の保存・活用 - 広島市公式ウェブサイト
- 13.不動院 - ひろしまたてものがたり(広島県公式)
- 14.不動院 - 国宝を巡る旅
- 15.あの日を知る被爆電車653号 - 平和記念公園レストハウス公式
- 16.しろうや!広島城 No.9(広島城 広報紙)
- 17.【難読地名】「己斐」って読めますか?広島市の西側に位置する、西国から城下への玄関口
- 18.広島城、別名「鯉城」はカープの由来 - 中国新聞デジタル
- 19.プロ野球チーム「広島東洋カープ」/ホームメイト
- 20.マツダスタジアム コンコースマップ - 広島東洋カープ公式サイト
- 21.2024ひろしまフラワーフェスティバルとは?歴史や魅力、開催日程を紹介!
- 22.「ひろしまフラワーフェスティバル」5月3日から 昨年は160万人が来場
- 23.シリーズ:絵葉書から辿る① 紙商売から名付けられた「紙屋町交叉点」のかつての姿
- 24.4:商業地の発展、通りと街の整備 ~ 広島 | このまちアーカイブス
- 25.【広島雑学】横川にはへぇ~がいっぱい 地名の由来は川の流れ方
- 26.縮景園の歴史 - 縮景園公式サイト(広島県立美術館)
- 27.縮景園 - 徹底解剖!ひろしまラボ(広島県公式)
- 28.広島市現代美術館 公式サイト
- 29.お好み焼きの歴史|お好み焼みっちゃん総本店
- 30.広島の汁なし担担麺のお店『汁なし担担麺 きさく』が初登場!
- 31.本場四川省の味が楽しめる「きさく」
- 32.「また食べたい」を誘う辛さ! 元祖の流れを汲む広島つけ麺の名店へ
- 33.かまぼこ由来の練り物フライ がんす(機関誌『水の文化』74号)
- 34.広島新銘菓 生もみじ|商品情報|広島菓子処 にしき堂
- 35.お祭りの歴史 – とうかさん公式Webサイト
- 36.広島県の方言 | 広島県
- 37.方言が伝わらなかった話(66) 【漫画】広島弁「たいぎい」とは?
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