岐阜県 高山市
岐阜県高山市を歩く――金森長近の町割りと、木を生かす飛騨の手仕事
全国でただ一つ残る代官所の御蔵、軒高4.5メートルの町家、桑市から分かれた二つの朝市、宝永の神楽台に始まる屋台。金森長近が引いた高山の町割りをたどりながら、飛騨の木の技と味の由来を歩いて確かめる読み物です。
公開 出典 35件

高山の中心部にある三町は、1979年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれた一帯です。南北約420メートル、東西約150メートル、面積は約4.4ヘクタール。この範囲に伝統的建造物172棟が保存されていて、歩きはじめてすぐ、両側の軒の線がそろって低いことに気づきます。
町へ通じる高山本線は、岐阜側の高山線と富山側の飛越線が別々に延びてきた路線で、1934年10月25日に岐阜と富山がつながって一本になりました。宮川には、朱色の高欄が鮮やかな中橋が架かっています。橋を渡れば高山陣屋、そこから古い町並へと歩みを進められます。
金森長近は高台に侍を、一段低い場所に町人を置いた
金森長近が飛騨国33000石の国主として入府したのは天正14年(1586)です。長近は城を取り囲む高台を武家地とし、一段低いところ、のちに三町と呼ばれる区画を町人の町としました。さらに京都になぞらえて東に寺院群を設けています。町を歩くときに感じる高低差は、この区分けの名残です。
東山の寺社群は、長近が城下町をつくる際に東の小高い丘陵地へ寺社を建立・移築したのが始まりと言われています。由緒のある寺社が続き、県や市の指定文化財が並ぶ一帯です。高台と低地を分けた町割りと重ねて考えると、寺社の位置もまた設計の一部だったと分かります。
長近は天正13年(1585)に飛騨国の大名となり、城下町の建設に着手しました。天正16年(1588)には十三世明了に現在の場所の寺地を与えて照蓮寺を建て、位山街道に代わる新しい街道として益田川両岸の道を整えています。この街道が、現在の国道41号線の原型になりました。
城は礎石10数個になり、米蔵は陣屋へ移された
高山城の築城が始まったのは天正16年(1588)。慶長5年(1600)までに本丸と二の丸ができ、金森可重による三の丸の増築を経て、慶長8年(1603)に通算16年で完成しました。ところが元禄5年(1692)に金森氏が出羽国へ転封となり、元禄8年(1695)、幕府の命によって城は完全に破却されます。いま城跡に残るのは天守閣の礎石10数個だけです。
金森氏の転封によって飛騨は天領となり、1692年に代官陣屋が開かれました。以後、明治維新までの25代にわたって、代官・郡代が江戸から派遣されています。幕末には全国に六十数か所あったといわれる郡代・代官所のうち、主要な建物が現存する陣屋跡は、高山陣屋だけです。
残っているのは、1832年建築の御門、1816年に改築された御役所、1600年頃建造の御蔵といった主要部です。建てられた年代の幅がそのまま並んでいるので、どの建物がいつのものかを意識しながら廊下を進むと、見え方が変わってきます。
その御蔵は、もともと高山城三ノ丸に米蔵として建てられていたもので、元禄8年(1695)に現在地へ移されました。軸部は慶長年間(1596〜1615)のまま。良質のヒノキが使われ、仕上げは蛤刃手斧によるもので、四方転びの壁面や通風のための隙間など、飛騨匠(ひだのたくみ)の技法を間近に見られます。
軒は4.5メートル、間口は3間から4間――町家の内側と足元の水
三町の商家は屋根高が4.5メートルと低く、間口は3間から4間と狭い代わりに、奥へ深く伸びています。道路に面した部屋は「ミセ」と呼ばれ、吹き抜けの天井から光の帯が差し込みます。表から見える幅より奥行きのほうがずっと長い建物だと知ってから入ると、土間の暗さの意味が分かります。
保存の対象になっているのは、伝統的建造物172棟と、その他の工作物2棟。この工作物は「秋葉様」です。国の選定は1979年(昭和54年)2月3日で、1997年(平成9年)に追加選定が行われました。約4.4ヘクタールという区域の数字は、歩いてみるとちょうど実感に合う広さです。
道路の両側を流れる側溝は、江戸時代に宮川上流から引かれた水路です。冬は側溝に雪を詰め込んで溶かす消雪溝として使われてきました。住民は下流の様子に配慮しながら少しずつ流すのがマナーで、一度に大量の雪を入れると下流で雪がダムのように堆積し、水が道路へ溢れてしまうそうです。高山の雪は盆地型の気候によるサラサラした新雪で、ホーキで掃いて除雪します。
桑市から分かれた二つの朝市――陣屋前と宮川の河畔
高山陣屋前朝市の起源は、文政3年(1820年)頃の桑市にさかのぼります。明治27年(1894年)6月18日に野菜市が始まり、大正11年(1922年)に現在地の陣屋前へ移りました。第二次世界大戦中は夜市も開かれていましたが、灯火管制のため、いまの午前中に開く形になったといいます。
台に並ぶのは、地元の農家が育てた新鮮な野菜や山菜、果物、それに手作りの漬物や味噌です。春は山菜、夏は野菜、秋は新米や果実、冬は年末市と、季節ごとに顔ぶれが入れ替わります。同じ場所でも、訪れた月によって別の市のように見えるはずです。
もう一つの宮川朝市も、ルーツは高山別院を中心に開かれた「桑市」という養蚕の市です。市はその後、立ち退きを命じられて移転を繰り返し、現在の宮川河畔に落ち着きました。いまは宮川の東岸、鍛冶橋から弥生橋にかけての約700メートルに、野菜や果物、山菜、漬物、民芸品、季節の花が並びます。
この川沿いは、テレビアニメ『氷菓』の舞台とされる場所でもあります。作品では弥生橋がオープニングと11話、18話に登場し、宮川朝市通りもオープニングに出てきて、奉太郎たちが川岸の階段で過ごす様子が描かれます。ほかに上三之町の古い町並、鍛冶橋、本町通りも画面に現れます。
宝永の神楽台から――屋台とからくりが動く二日間
高山祭の屋台は、宝永5年(1708年)の八幡祭で、金森家が寄進した太鼓を乗せた神楽台が始まりと言われています。祭そのものの起源は、金森長近を祖とする金森氏の飛騨治世(1585〜1692)にさかのぼり、屋台の形態や構造が整い始めたのは文化・文政年間(1804年以降)だとされます。
春の高山祭、山王祭は毎年4月14日と15日に行われます。公式の祭案内が伝えるところでは、からくり奉納は三番叟・石橋台・龍神台が、中橋のたもとにある「御旅所」へ屋台の正面を向け、順番に人形を操作する形で行われるとのことです。14日・15日とも1日2回、各台20分ほどです。
からくり人形の演武は、14日・15日ともに10時からと14時からの2回、約50分間、高山陣屋前で披露されます。市中心部には屋台が引き出されるので、曳き揃えと人形の動きを同じ日のうちに追うことができます。
秋の高山祭、八幡祭は10月9日と10日。公式の案内によると、布袋台の屋台に備えられたからくり人形による演舞が奉納されるといいます。宵祭では提灯を灯した屋台が祭区域内を練り歩き、御神幸では数百名にも及ぶ祭行列が区域内を進みます。
祭の日に行き合わなくても、桜山八幡宮の高山祭屋台会館で実物を見ることができます。秋の祭で曳かれる屋台11台のうち常時4台が展示され、年に3回の入れ替えを経て公開されます。並んでいるのは国指定重要文化財そのものです。
木を生かす手つき――一刀彫、春慶の奇数、寄進で建った塔
高山市は、日本遺産「飛騨匠の技・こころ ― 木とともに、今に引き継ぐ1300年 ―」が平成28年4月25日に認定されたと説明しています。古代の「飛騨工制度」は木工技術者を都へ送ることで税に充てる全国唯一の制度で、木を生かす技術や感性が高山の文化の基礎になったという筋立てです。構成文化財は市内48箇所に及びます。
一位一刀彫は、加飾や着色をせず、彫刻刀の技だけで彫り上げる木彫です。イチイ材の赤太と白太の色の違いをそのまま模様として生かし、時間が経つにつれて艶のある茶褐色へ変わっていきます。江戸末期に活躍した高山出身の根付彫刻師、平田亮朝や松田亮長らによって盛んになりました。
飛騨春慶では、曲物師が板を曲げて丸い器をつくり、合わせたところをニカワで接着したあと、ヤマザクラの皮で補強します。かんばとじ、かんばさしと呼ばれる仕事です。茶器から始まった器なので決まりごとが多く、茶道では偶数を嫌うため、一つ差し、三つ差しと奇数で差していきます。隅切(すみきり)も奇数です。
木地にはヒノキやサワラ、トチ、ヒバが使われ、塗師が独自にブレンドした透明な漆を上塗りして木目を見せます。飛騨天満宮には、元禄3年(1690年)に成田市郎兵衛と若五郎兵衛が共作した「春慶批目曲物及び溜塗漆絵卓」が伝わり、1970年(昭和45年)に高山市の文化財に指定されました。
飛騨国分寺の三重塔は、寛政3年(1791)の暴風雨で倒壊したあと、文政4年(1821)に竣工しました。桁行・梁間ともに4.24メートル、礎石上端から宝珠上端までの高さは22メートル。棟梁は3代目水間相模で、庶民の寄付金800両と大工5500人工を要したと記録されています。
同じ境内に立つ大イチョウは、推定樹齢1200年、高さ約27メートル、幹周りは約10メートルの1本の木です。昭和28年(1953)3月31日に国の天然記念物に指定されました。塔と木を一度に見上げられる場所に立つと、この境内が抱えている時間の幅が伝わってきます。
飛騨の里は、約13万平方メートルの敷地に飛騨地方の古い民家を移築復元した屋外博物館です。板倉と呼ばれる米蔵は、梅雨時のように湿気が多いと木材が膨張して材の間の隙間をふさぎ、湿った空気の進入を防ぎます。空気が乾くと隙間ができて、内部の通風がよくなる。湿気や害虫から作物を守るための、気候風土に合わせた造りです。
中華そばと朴葉の皿――町で食べるものの由来
高山ラーメンは、和風だしの醤油スープに細めの縮れ麺を合わせたものです。鶏ガラや魚介、野菜、椎茸などを店ごとにブレンドした醤油スープで、地元では昔から「中華そば」「そば」という呼び名で親しまれてきました。「高山ラーメン」という名称が浸透したのは、観光地化にともなってのことだとされます。
始まりは、昭和13年(1938年)に「まさごそば」が屋台で売り出したものだと言われ、いまでは30店舗以上が出しています。作り方にも特徴があります。ラーメンは通常、スープとタレを別に作ることが多いのに対して、高山ラーメンはスープとタレを一緒に混ぜて煮込むのです。
朴葉味噌は、林業が盛んだった飛騨で、山仕事を生業とする杣人たちが山で朴葉を皿代わりに焼き味噌をしたのが始まりだという言い伝えがあります。その後は一般家庭へ広がり、昭和40年代からは土産物としても売られるようになりました。いまは飛騨牛やキノコ、ネギなどの具材を加える食べ方も広まっています。
飛騨牛銘柄推進協議会の説明によると、飛騨牛と認められる条件は、岐阜県での飼養期間が最長であること、協議会登録農家による肥育であること、14ヶ月以上肥育された黒毛和種であること、肉質等級が5等級・4等級・3等級のいずれかに格付けされていることの4点だといいます。昭和63年(1988)の協議会設立によってブランド化が進みました。
古い町並では、飛騨牛の握り寿司も食べ歩きの一つです。ミディアムレアのステーキ状にしたネタを握り、さらに焼いてから出され、皿の代わりにあおさ入りの手焼きせんべいが添えられます。切りたての肉であることにこだわっているそうで、食べ終えればせんべいも残りません。
みたらし団子も通りの定番です。食べ歩きの公式案内では、香ばしく焼き上げた団子に醤油がたっぷり絡んだもの、醤油ベースの香ばしいタレが絶妙に絡み合うものと紹介されています。甘いタレを思い描いて買うと、醤油の香りに意表を突かれるかもしれません。
駄菓子の音羽屋本舗は、昭和12年(1937年)に高山市で創立されました。店の案内では、大豆、ごま、小麦、水飴、砂糖といったシンプルな原材料に、混ぜる、練る、火を加える、延ばす、切るという手作業を重ねる伝統工法を、80年を超えて続けていると説明されています。
持ち帰るものを一つ選ぶなら、さるぼぼでしょうか。高山市の公式ページによれば、さるぼぼは飛騨の言葉で「猿の赤ん坊」という意味で、赤い顔が猿の赤ん坊に似ていることからそう呼ばれるようになったとされます。昔の飛騨では、母親が娘の縁結びや安産、夫婦円満を願い、子どもたちが健やかに育つことを願って作り与えたと伝えられています。
帰る前に、もう一度中橋を渡ってみてください。朱色の高欄は、大正14年の架け替えから百年の節目を迎えました。橋の上から振り返れば、低い軒をそろえた172棟の町家の一帯があり、その奥に武家地だった高台と、寺院群が置かれた東山が控えています。町割りの話を知った目で見ると、同じ景色の奥行きが少し変わります。
高山市クイズ
全3問Q1
高山陣屋の「御蔵」は、もともと何のための建物だった?
残念、不正解 正解は ア「高山城三の丸の米蔵」
文化庁の日本遺産の説明では、御蔵は高山城三ノ丸に米蔵として建てられ、元禄8年(1695)に現在地へ移築されたとされます。軸部は慶長年間のもので、良質のヒノキを蛤刃手斧で仕上げ。四方転びの壁面や通風の隙間に飛騨匠の技法が見られます。柱の表面を近くで見てみてください。
Q2
古い町並・三町に並ぶ商家の造りの特徴は?
残念、不正解 正解は ア「屋根が低く、間口が狭くて奥に深い」
高山市の説明では、三町の商家は屋根高が4.5メートルと低く、間口は3間から4間と狭くて奥に深い造りとされます。道路に面した部屋は「ミセ」と呼ばれ、吹き抜けの天井から光の帯が差し込みます。軒先を見上げて、その低さを確かめてみてください。
Q3
飛騨春慶の曲物で、合わせ目を補強するヤマザクラの皮の差し方の決まりは?
残念、不正解 正解は ア「一つ差し・三つ差しなど奇数」
伝統的工芸品の解説では、飛騨春慶の曲物は板を曲げて合わせ目をニカワで留めたあと、ヤマザクラの皮で補強します。茶器から始まった工芸のため、茶道が偶数を嫌うことから一つ差し・三つ差しと奇数で差し、隅切りも奇数。店先で盆や硯箱の縁にある皮の差し目を数えてみてください。
出典
この記事は次の資料にもとづいて書いています。
- 1.高山市三町伝統的建造物群保存地区|高山市
- 2.高山本線の歴史|富山県公式ホームページ
- 3.中橋|岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」
- 4.高山の歴史|高山市
- 5.東山寺院群ウォーキングツアー|VISIT岐阜県
- 6.「金森長近」~生誕500年~ ゆかりの地を紹介します|高山市
- 7.高山城跡|岐阜県公式ホームページ(文化伝承課)
- 8.高山陣屋跡|岐阜県公式ホームページ(文化伝承課)
- 9.高山陣屋|岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」
- 10.21, 高山陣屋(御蔵)(日本遺産構成文化財)|文化庁 日本遺産ポータルサイト
- 11.高山の近郊低山と高山の雪 ~高山の町並みの雪~ – デジタルアーカイブ研究所(岐阜女子大学)
- 12.高山陣屋前朝市|岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」
- 13.飛騨高山宮川朝市|【公式】飛騨高山旅ガイド
- 14.『飛騨高山 宮川朝市』朝市の歴史
- 15.アニメ「氷菓」の舞台を巡る 飛騨高山の聖地巡礼スポットを紹介!
- 16.高山祭の歴史|高山屋台保存会
- 17.春の高山祭(山王祭)|【公式】飛騨高山旅ガイド((一社)飛騨・高山観光コンベンション協会)
- 18.春の高山祭(山王祭)|岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」
- 19.秋の高山祭(八幡祭)|【公式】飛騨高山旅ガイド((一社)飛騨・高山観光コンベンション協会)
- 20.高山祭屋台会館|飛騨高山旅ガイド
- 21.日本遺産「飛騨匠の技・こころ ― 木とともに、今に引き継ぐ1300年 ―」|高山市
- 22.一位一刀彫|高山市
- 23.飛騨春慶|伝統工芸 青山スクエア(伝統的工芸品産業振興協会)(伝統的工芸品産業振興協会)
- 24.春慶塗|飛騨天満宮 公式サイト
- 25.国分寺三重塔|高山市
- 26.飛騨国分寺の大イチョウ|高山市
- 27.飛騨民俗村・飛騨の里|飛騨高山旅ガイド
- 28.飛騨高山ご当地グルメ!~高山ラーメン(中華そば)6選~
- 29.全国ご当地ラーメン - 高山ラーメン - ラーペディア
- 30.朴葉味噌 岐阜県 | うちの郷土料理:農林水産省
- 31.飛騨牛について|飛騨牛銘柄推進協議会
- 32.森羅 飛騨こって牛 - 高山にある飛騨牛握り寿司の店
- 33.【2026最新】お団子激戦地区!飛騨高山で食べ比べさんぽ|【公式】飛騨高山旅ガイド((一社)飛騨・高山観光コンベンション協会)
- 34.飛騨の駄菓子 音羽屋
- 35.飛騨のさるぼぼ|高山市
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