まちばなし

福岡県 福岡市

福岡市を歩く――鴻臚館の発掘から屋台の替え玉、放生会のチャンポンまで

福岡空港から地下鉄で街に入り、天神や中洲の地名の由来、平和台球場の改修で見つかった鴻臚館跡、承天寺の石碑、山笠と放生会、長浜の替え玉やごまさばまで、福岡市で確かめたくなる話をたどります。

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福岡県福岡市の風景
写真: lshman000(pixabay)

福岡空港の国内線旅客ターミナルビルは、市営地下鉄の福岡空港駅と直結しています。改札口を出て、ターミナル南側のエスカレーターを上がれば、もう建物の中です。国際線旅客ターミナルビルへ向かうなら、1A・2A出入口から1階に上がり、連絡バス乗り場1番から無料の連絡バスに乗り換えます。荷物を長く抱えずに済むぶん、着いたその足で歩きはじめられます。

この街は、地名を気にしながら歩くと面白くなります。九州最大の繁華街・天神の名は、菅原道真を祀る水鏡天満宮に由来するといわれます。歓楽街の中洲は、黒田長政が福岡城を築くための町造りを行ったとき、「福岡」と「博多」を繋ぐために中ノ島だったこの場所へ「中嶌橋」を架けたことが起源だと説明されています。

水鏡天満宮と中嶌橋、地名が覚えている福岡と博多

水鏡天満宮の社名について、福岡市の観光情報サイトは、大宰府に左遷された菅原道真が憔悴した自分の姿を川面に映したことからこの名がついたといわれる、と紹介しています。九州一の繁華街の名が、水をのぞき込んだ一場面から来ているわけです。

中洲観光協会が伝えるところでは、宝暦元年頃、中洲に畠を作っていた小作人たちが、役所に頼らず自分たちで金を出し合って丸木橋を架け替えました。そのため橋は「作人橋」と命名され、数回の架け替えを経て、今は「博多橋」と改称されています。

天神の南には警固という地名があります。福岡市の文化財の説明では、この名は鴻臚館の近くに置かれた大宰府の防衛施設「警固所」にちなみ、警固神社の社名もこれによるとされています。警固所の名は『万葉集』や藤原純友の乱、刀伊の入寇といった記録にも登場します。

平和台の外野席から現れた鴻臚館と、七年がかりの城

舞鶴公園の一帯は、掘ると時代が出てくる場所です。鴻臚館跡が見つかったのは1987年、昭和62年のことで、きっかけは平和台球場の外野席の改修工事でした。工事中に遺構が姿を見せ、ここから本格的な発掘調査が始まりました。

出土品の産地を並べると、この館の役割が見えてきます。公式サイトには、現在の中国の河北省、浙江省、湖南省などで生産された陶磁器、朝鮮半島の新羅や高麗産の陶器、さらに西アジアのイスラム系陶器やペルシャ系ガラス器までが発掘されたと記されています。木簡や、トイレで使われた籌木も見つかっています。

その上に建つのが福岡城です。豊前国中津12万石から筑前国福岡52万石へ移った初代藩主・黒田長政が、慶長6年(1601)から7年がかりで築いた城で、舞鶴城ともいいます。本丸・二の丸・三の丸でできた内城を中心に48万平方メートルが国指定史跡で、本丸から三の丸一帯が舞鶴公園です。

福岡城には大・中・小と3つの天守台があります。1646年(正保3年)に描かれた絵図『福博惣絵図』に天守閣がなく、天守は無かったと考えられてきました。ところが2024年12月に「天守を建てた」と記述された新史料が発見され、天守台周辺の発掘調査もはじめて行われました。天守台は展望台になっていて、街と博多湾が一望できます。

城にまつわる手仕事の話もあります。福岡城・鴻臚館の公式サイトは、瓦職人の正木宗七が博多近郊の粘土で城の瓦を焼いた余技に、残りの粘土で素焼き人形を作って黒田長政に献上したものが博多人形のはじまりだとしています。慶長年間に博多湾の入江を外濠として使った跡は、昭和4年に県営大濠公園として開園し、約22万6千平方メートルの池を抱えています。

宋へ渡った船と、博多の寺に立つ石碑

博多の承天寺(じょうてんじ)の境内には、「饂飩蕎麦発祥之地」と刻まれた石碑が建っています。福岡市のコラムでは、開山の聖一国師(しょういちこくし)が仁治2年(1241)に中国から帰国した際に製粉の技術を持ち帰り、饂飩・蕎麦・饅頭などの粉物食文化が全国に広まっていったと伝えられています。

宋へ渡ったのは僧だけではありません。博多織工業組合の沿革には、鎌倉時代、満田彌三右衛門、圓爾辯圓(勅諡聖一国師)、謝太郎國明の三人が船で南宋(中国)明州へ向け博多の津を出発したことから博多織が始まった、と記されています。国師が宋へ渡ったのは嘉禎元年(1235)で、仏法の教義以外にも宋の文化を伝え、その代表がうどん・そば・羊羹・饅頭などの製法だったと観光案内は述べています。

聖福寺は、福岡県の観光公式サイトによれば、禅宗の始祖・栄西が建てたわが国最初の禅寺で、築は1195年。山門に掲げられた「扶桑最初禅窟」の勅額は後鳥羽上皇の宸筆とされ、寺域は禅寺の典型的な伽藍形式のものとして国史跡に指定されています。

東長寺は真言宗九州教団の本山で、山号は南岳山、本尊は弘法大師です。寺伝では、大同元年(806)に唐から帰国した空海が海辺の地に一伽藍を建立し、密教東漸を祈ったと伝えます。のちに兵火で焼け、二代福岡藩主・黒田忠之が現在地に再建しました。藤原時代の千手観音像は重要文化財、平成4年には福岡大仏が完成しています。

住吉神社の本殿は、元和9年(1623)に福岡藩主・黒田長政が再建したもので、国の指定を受けた建造物です。軒を支える組物を使わない住吉造で、柱は朱色、板壁は白色。屋根から下がる懸魚は盾の形に擬したものといわれ、神功皇后を助けて三韓遠征を勝利に導いたと伝えられる武神的な一面がしのばれると書かれています。

博多区の日本庭園・楽水園には博多塀が残ります。園の解説によると、戦乱で幾度も焦土と化した博多の町を復興させるため、焼け跡から瓦や石を拾い集めて塀を作ったのが始まりで、もとは資材不足を補う苦肉の策でした。使われている瓦はのし瓦、丸瓦、鬼瓦、軒丸瓦など7種類以上。前身の下澤家の屋根瓦も入っています。

オイサの夜明け、きゅうりの我慢、放生会のチャンポン

博多祇園山笠の起源には諸説あります。そのひとつに、仁治2年(1241年)に博多で疫病が流行した際、承天寺の開祖・聖一国師が町民の担いだ施餓鬼棚に乗り、祈祷水を撒きながら町を清めてまわったという説が伝わっています。この「祈祷水」が山笠の「勢い水」に転じたのではないかと考えられています。

山笠は、櫛田神社右殿の素盞嗚大神に対する奉納の行事として行われています。追い山ならしと追い山では、山留めから舁き山が出発し、境内の桟敷席に囲まれた清道を回って「櫛田入り」を奉納します。社伝では天平宝字元年(757年)に松阪の櫛田神社を勧請したのに始まるとされ、現社殿は天正15年(1587年)に豊臣秀吉が博多町割とともに建立・寄進したものです。

追い山笠が動き出すのは午前4時59分、一番山笠の櫛田入りからです。合計8つの山笠が次々に櫛田入りを行い、八番山笠は上川端通の高さ10メートル以上、重さ2トンの飾り山笠。舁き山笠は須崎町の「廻り止め」の幕の下をくぐってゴールし、横の石村萬盛堂から全コースタイムが発表されます。掛け声の「オイサ」は勢いよく歯切れよく連続して掛けるもので、語尾を伸ばして「オイサー」とは言いません。

期間中、氏子はきゅうりを食べるのを遠慮します。素戔嗚尊の神紋が輪切りにしたキュウリの形に似ており、大変畏れ多いからだという言い伝えがあります。博多の小学校の給食献立表でも、7月1日から15日まではきゅうりの文字がありません。追い山笠の後の直会には、きゅうりのなますが出される地域もあるそうです。

春の博多どんたくでは、参加者がしゃもじを打ち鳴らします。公式サイトのミニ知識では、昔、商家の前をどんたく囃子が通りかかったとき、その見事な音色に夕食を支度中の商家のおかみさんが浮かれだし、手に持っていたしゃもじを叩いて囃子に加わったことから始まると説明されています。どんたくの語源はオランダ語のZONDAG、休日の意味だといいます。

秋は筥崎宮の放生会です。博多では「ほうじょうえ」ではなく「ほうじょうや」と読むのが地元のこだわりで、筥崎宮の案内は、万物の生命を慈しみ、殺生を戒め、秋の実りに感謝する祭りだと述べています。9月12日から18日まで七日七夜、参道一帯に数百軒の露店が並びます。縁起物のチャンポンは息を吹き込むと音が鳴るガラス製の玩具で、大正時代に一度姿を消し、昭和46年に復活しました。

同じ筥崎宮の楼門には「敵国降伏」の扁額が掲げられています。筥崎宮の公式の説明では、文永11年(西暦1274)の蒙古襲来で炎上した社殿の再興にあたり亀山上皇が納められた事跡があり、文禄年間に筑前領主・小早川隆景が楼門を造営した際、その御宸筆を謹写拡大したものが掲げられているとしています。

粉落としからヤワまで、屋台の夜と昼のうどん

屋台は、どこに座るかで夜の表情が変わります。那珂川沿いにずらりと並ぶ中洲は、水面にネオンサインが映るお祭り騒ぎで、客は観光客8割、地元民2割。天神は百貨店やオフィスビルのすぐ足元、昭和通りや渡辺通り沿いに点在し、地元民6割、観光客4割で、仕事帰りの人や地元のカップルが多い落ち着いた雰囲気です。

長浜のラーメン店には替え玉があります。スープを残したまま追加で麺だけを注文するやり方で、長浜市場で働く漁師たちは短時間で食事を済ませる必要があり、一度スープを出せば麺だけを素早く出せるために生まれたといいます。麺の硬さも選べて、ナマ、バリカタ、カタ、普通、ヤワ、そしてほぼ茹でていない粉落としまで呼び名が分かれています。

生のサバに醤油や胡麻を絡める「ごまさば」は昔ながらの食べ方で、博多ではそのまま刺身で食べるよりも好まれています。いり胡麻とすり胡麻に、濃厚なねり胡麻を加えるものもあり、ご飯のおかずにそのまま、茶碗にあとのせして丼風に、最後はお茶漬けにして。生で食べられるのは鮮度がよいからで、荒波で身が締まる漁場と街が近いからだといいます。

うどんの店名にも博多の言葉が出ます。「かろのうろん」は、生粋の博多弁では「だ」行を「ら」行で発音するため、「かどのうどん」という意味になるのだそうです。前日に手打ちして一晩寝かせた麺は、やわらかくモチモチで、のどごしのよさが自慢。ちなみに「しゃれとんしゃあ」は「おしゃれですね」、「ちかっぱ」は「ものすごく」という博多弁です。

福岡のうどんの定番は、ごぼう天です。やわらかい麺に、歯ごたえのあるごぼうとサクサクの衣。老舗の因幡うどんでも一番人気で、ごぼう天がだしに溶けて柔らかくなった状態がおいしいという声もあります。

水炊きの始まりについて、福岡市の公式サイトは、「水月」の創始者・林田平三郎が15歳で香港に渡り、英国人の家庭に住み込んで洋食を学び、そこで習得した西洋料理のコンソメと中国料理の鶏の水煮をあっさりしたスープ仕立てにして日本の味にしたと伝えています。博多風は鶏ガラを長時間煮込んだ白濁スープで、具はキャベツや春菊、しいたけ。〆にはちゃんぽん麺を入れることが多いです。

土産にも物語があります。ふくやの説明では、味の明太子の原料はスケトウダラの卵巣で、これを独自の調味液に漬け込んで作ります。店は博多・中洲の一角の小さな食料品店として始まり、店主の川原俊夫は幼少期を過ごした釜山で食べた「たらこのキムチ漬」の味が忘れられなかったそうです。博多通りもんは、手亡豆の白餡にバターや生クリーム、卵を合わせた「ミルクの香りがするまんじゅう」と表現されています。

志賀島の金印、動く砂丘、也良の防人

海の側にも歩く理由があります。国宝の金印が見つかったのは1784年、天明4年2月23日、今の福岡市東区志賀島でした。島に住む農民が田んぼに水をひく溝を修理していて偶然見つけたようだと伝えられ、『後漢書』東夷伝を根拠に、皇帝光武が西暦57年に「倭奴国王」に贈ったものと鑑定されました。重さは108.729グラム、金の含有率は95.1%です。

志賀島と本土をつなぐ海の中道は、規模の大きな砂丘です。福岡市博物館の解説によると、海の中道砂層と、その下にある氷河時代以前にできた古い奈多砂層の2つからなり、海面が最も上昇した約4700年前には、現在より約500メートル北側にあったと推測されています。北岸の奈多砂丘B遺跡は、今も浸食を受けつつあるそうです。

西区の生の松原には元寇防塁が残ります。文永の役(1274年)の後、再度の来襲に備えて鎌倉幕府の執権・北条時宗の命により、博多湾に沿って約20キロの海岸に築かれた石築地(いしついじ)です。生の松原では東側を肥前の御家人、西側を肥後の御家人が受け持ち、肥前は姪浜砂岩、肥後は長垂山の花崗岩を使いました。同じ防塁でも、担当によって石が違います。

博多湾に浮かぶ能古島の也良崎には万葉歌碑があります。福岡市西区役所の案内によれば、刻まれているのは万葉集巻16・3866の「沖つ鳥 鴨とふ船の帰り来ば 也良の防人 早く告げこそ」で、この地には国を守るために遠く関東から派遣された防人(さきもり)が置かれていました。神亀年間(724〜729)に対馬へ米を運ぶことを命じられた志賀の荒雄は船の遭難で帰らぬ人となり、筑前国守であった山上憶良が妻子の悲しみに同情して代わりに作ったという説も添えられています。

最後は福岡タワーに上ってみます。愛称は「ミラーセイル(光り輝く鏡の帆)」、8000枚のハーフミラーが正三角柱のタワーを輝かせています。全長は234メートル、最上階の展望室は地上123メートルで、街並みと博多湾、脊振山系まで360度のパノラマが広がります。1989年、福岡市制100周年記念のアジア太平洋博覧会のモニュメントとして誕生した塔から、歩いてきた道筋をもう一度たどってみてください。

福岡市クイズ

全3問
  1. Q1

    福岡城跡の一角にある鴻臚館跡。その遺構が見つかったきっかけは?

  2. Q2

    博多祇園山笠の期間中、博多っ子が口にするのを遠慮する習わしがある食べ物は?

  3. Q3

    博多ラーメンの麺の硬さで、「ほぼ茹でていない」状態を指す言い方は?

出典

この記事は次の資料にもとづいて書いています。

  1. 1.交通アクセス 地下鉄|福岡空港
  2. 2.水鏡天満宮|【公式】福岡市観光情報サイト よかなび(公益財団法人 福岡観光コンベンションビューロー)
  3. 3.中洲の歴史|中洲観光協会(中洲観光協会)
  4. 4.警固神社|福岡市の文化財(福岡市)
  5. 5.鴻臚館について|【公式】福岡城・鴻臚館(福岡城・鴻臚館)
  6. 6.福岡城跡(国指定史跡)|福岡市の文化財(福岡市の文化財)
  7. 7.天守台|【公式】福岡城・鴻臚館(福岡城・鴻臚館)
  8. 8.博多人形と黒田家|【公式】福岡城・鴻臚館
  9. 9.大濠公園の歴史|大濠公園(大濠公園)
  10. 10.承天寺 | 観光スポット一覧 | 【公式】福岡市観光情報サイト よかなび(福岡市観光情報サイト よかなび)
  11. 11.まるごと福岡博多|うどんも、そばも、まんじゅうも博多発祥(福岡市)
  12. 12.博多織の沿革|博多織工業組合
  13. 13.聖福寺|観光スポット|【公式】福岡県の観光/旅行情報サイト「クロスロードふくおか」(福岡県観光連盟)
  14. 14.東長寺|文化財情報検索|福岡市の文化財(福岡市の文化財)
  15. 15.住吉神社本殿|文化財情報検索|福岡市の文化財(福岡市の文化財)
  16. 16.博多べい(後編)~その芸術的価値~|福岡市博多区の日本庭園 楽水園
  17. 17.博多祇園山笠の由来|博多祇園山笠の歴史|山笠ナビ
  18. 18.博多総鎮守、櫛田神社|博多祇園山笠の歴史|山笠ナビ
  19. 19.追い山笠(7月15日)|博多祇園山笠のスケジュール(山笠ナビ)
  20. 20.オイサ(おいさ)|博多祇園山笠用語辞典(山笠ナビ)
  21. 21.きゅうり(胡瓜)|博多祇園山笠用語辞典(山笠ナビ)
  22. 22.博多どんたくとは|博多どんたく港まつり 公式サイト(福岡市民の祭り振興会)
  23. 23.おはじき、チャンポン、新生姜|アネモメトリ -風の手帖-(京都芸術大学 芸術教養学科)
  24. 24.放生会|日本三大八幡宮 筥崎宮【公式】(筥崎宮)
  25. 25.筥崎宮について|筥崎宮(筥崎宮)
  26. 26.中洲と天神の屋台、どっちがいい?地元民が教える「失敗しない選び方」と3つの鉄則(よかとこ福岡)
  27. 27.福岡名物・替え玉の発祥は長浜ラーメン|誕生秘話と博多ラーメンの違いを解説(ジモハック福岡)
  28. 28.福岡・博多名物「ごまさば」とは?味・由来・人気の理由を徹底解説(Leap Up)
  29. 29.福岡のソウルフード、ごまさば丼は新鮮なうちにパクり(dancyu)
  30. 30.かろのうろん | 観光スポット(クロスロードふくおか(福岡県観光連盟))
  31. 31.かわいいと評判の「博多弁」12選。方言の意味や使い方・言い回しを紹介(じゃらんニュース(リクルート))
  32. 32.福岡県民が「ごぼう天」が好きなのはなぜ? 福岡のうどん食文化を調査!(RKB毎日放送)
  33. 33.まるごと福岡博多|博多の名物鍋「水炊き」は中国料理と西洋料理がヒントになって誕生(福岡市)
  34. 34.その1.水炊きのルーツを探る(とりぜんフーズ)
  35. 35.京都風 vs 博多風 水炊きの決定的な違い|おすすめの名店も4つ紹介(ジモハック福岡)
  36. 36.味の明太子の歴史とふくやのこだわり | 味の明太子ふくや(ふくや)
  37. 37.博多通りもん誕生秘話|明月堂(株式会社明月堂)
  38. 38.金印|福岡市博物館(福岡市博物館)
  39. 39.企画展示 No.582 動く海の中道-消えゆく遺跡-|福岡市博物館
  40. 40.生の松原元寇防塁|福岡市西区役所(福岡市西区役所)
  41. 41.也良崎万葉歌碑|福岡市西区役所
  42. 42.タワーデータ|福岡タワー

この記事は、出典で確認できた事実をもとに AI の補助を受けて構成し、公開前に出典との照合を行っています。詳しくは編集方針をご覧ください。

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